2023年12月から中国語を日本語に翻訳コンテストは中国現代文豪の老舎の小説「駱駝祥子」の一、二の部分です。2024年1月から日本語を中国語に翻訳コンテストは日本近代女流作家壺井栄の「二十四の瞳」の一の部分です。老舎紹介 壺井栄紹介
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中国語から日本語へ翻訳コンテスト
2024年10月
応募締め切り時間:2024年10月31日14時
〆
骆驼祥子》1930年代北平(现北京)城里年轻好强、充满生命活力的人力车夫祥子三起三落的人生经历的长篇小说。祥子来自农村,贫困的农村使他再也不愿意回农村。在北平当上了一名租洋车,拉洋车的洋车夫(洋车即人力车)。祥子的最高愿望是以自己的诚实劳动买一辆属于自己的洋车。他用三年的时间勤奋劳动,省吃俭用,终于实现了理想,买上了自己的洋车。但刚拉上才半年,他的车就被逃兵掳走,失去了洋车的祥子只牵回三匹骆驼。因而被大家取笑为骆驼祥子。之后他娶了洋车行老板的女儿虎妞为妻后再次有了自己的洋车,但好景不长,虎妞死于难产,他不得不卖掉洋车料理丧事。以后同居的妓女小福子因被拍卖而自杀,祥子彻底失望而走向了堕落为“城市垃圾”的道路。中國文化沙龍從2023年11月到2024年12月分14次連載。
老舍《骆驼祥子》11:但是,他下了决心,一千天,一万天也好,他得买车!第一步他应当,他想好了,去拉包车。遇上交际多,饭局⑧多的主儿⑨,平均一月有上十来个饭局,他就可以白落两三块的车饭钱。加上他每月再省出个块儿八角的,也许是三头五块的,一年就能剩起五六十块!这样,他的希望就近便多多了。他不吃烟,不喝酒,不赌钱,没有任何嗜好,没有家庭的累赘,只要他自己肯咬牙,事儿就没有个不成。他对自己起下了誓,一年半的工夫,他——祥子——非打成自己的车不可!是现打的,不要旧车见过新的。他真拉上了包月。可是,事实并不完全帮助希望。不错,他确是咬了牙,但是到了一年半他并没还上那个愿。包车确是拉上了,而且谨慎小心的看着事情;不幸,世上的事并不是一面儿的。他自管小心他的,东家并不因此就不辞他;不定是三两个月,还是十天八天,吹了(俗语:俗语:取消合同)!他得另去找事。自然,他得一边儿找事,还得一边儿拉散座;骑马找马,他不能闲起来。在这种时节,他常常闹错儿。(414)
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2024年9月
老舍《骆驼祥子》10:而颇有跑的表示的,是那些五十岁以上的老者们。那经验十足而没什么力气的却另有一种方法:胸向内含,度数很深;腿抬得很高;一走一探头;这样,他们就带出跑得很用力的样子,而在事实上一点也不比别人快;他们仗着“作派”去维持自己的尊严。祥子当然决不采取这几种姿态。他的腿长步大,腰里非常的稳,跑起来没有多少响声,步步都有些伸缩,车把不动,使座儿觉到安全,舒服。说站住,不论在跑得多么快的时候,大脚在地上轻蹭两蹭,就站住了;他的力气似乎能达到车的各部分。脊背微俯,双手松松拢住车把,他活动,利落,准确;看不出急促而跑得很快,快而没有危险。就是在拉包车的里面,这也得算很名贵的。他换了新车。从一换车那天,他就打听明白了,象他赁的那辆——弓子软,铜活地道,雨布大帘,双灯,细脖大铜喇叭——值一百出头;若是漆工与铜活含忽一点呢,一百元便可以打住。大概的说吧,他只要有一百块钱,就能弄一辆车。猛然一想,一天要是能剩一角的话,一百元就是一千天,一千天!把一千天堆到一块,他几乎算不过来这该有多么远。(443)
2024年9月の中日翻訳優秀答案当選者8名: ★Chiko ★兼宗遥 藤原泰則 山元典子 江川美帆 趙明誠 野村紗江 赵明华 努力翻訳者: 浅野京子 吉見比佐子 刘沁瑞 野沢真知子
中日譯文
老舍《骆驼祥子》9: いかにもよく走っているように見えるのは、五十歳以上の老人たちだ。経験は豊富だが、力はあまりない彼らには別の方法がある。胸を内側に深く引っ込め、深く折り曲げか、足はとても高く上げ、一歩ごとに頭を一回前に突き出す。こうすることで、懸命に走っているように見せているが、実際は他の人と比べて少しも速くない。彼らはその「やり方」を頼りに自分の尊厳を保っているのだ。もちろん、祥子は決してこうした姿勢を取ったりしない。彼の脚は長く、歩幅は大きく、腰は非常に安定しており、走るときにほとんど音がしない。一歩一歩わずかに伸縮するだけで、梶棒が動かないので、乗客は安心して快適に乗っていられる。止まれと言われると、どんなに速く走っていても、大きな足を地面に何回軽く擦れば、すぐに止まることができる。彼の力は車の各部分にまで行き届くようだった。背中はわずかに前傾し、手はゆるく梶棒を握っている。彼は動作が機敏で正確で、急いでいるようには見えないのに、とても速く、それでいて危なげがない。高級車の人力車夫の中でも、これほどの者はなかなか貴重な存在だ。彼は人力車を新しいのに替えた。車を替えたその日から、彼はすぐに聞き取りから彼が借りた車は、スプリングは柔らかい、銅製品は正真正銘、雨避けの幌、二つのランプ、細い首の大きな銅製のラッパがついていて、値段は百元を超えるものだった。もし塗装や銅製品が少しでも手を抜かれていたら、百元に抑えられるだろう。大まかに言えば、百元さえあれば、彼は車を手に入れられるということだ。ふと考えてみると、一日に一角残せるとしたら、百元は千日分だ。千日!彼は、その千日をいっぺんに積み重ねてみて、その遠さがどれほどのものか、計り知れないほどに感じられた。(翻訳者:chiko )
日本語から中国語へ翻訳コンテスト
2024年10月
応募締め切り時間:2024年10月31日14時〆
[二十四の瞳 内容梗概]1928年(昭和3年)、年轻的女教师大石老师来到瀬戸内海中美丽的小豆島小学分校担任教师。她的班来了12名可爱的一年级新生加上六年级学生一共24名学生。孩子们恶作剧让大石老师落入沙滩上的陷井,脚受了伤。回到本州的家里休养。孩子们非常想念老师,哭着去探望远地的老师。但老师伤后没能返回小豆岛。大石老师厌恶军国主义教育方针的学校,退职,结婚了。战争中, 大石老师的丈夫战死,母亲和小女儿悲惨死去。战争中,班上的男孩子的一半也死去了。战后中年的大石老师再次赴小豆岛任教的故事。
「壺井栄 『二十四の瞳』 の10」: この道をすうっと走りる、気色がええじゃろ」
なんとしても自転車では太刀打ちできない。しょい投げをくわされたように、みんながっかりしていることだけはまちがいなかった。なんとか鼻をあかしてやる方法を考えだしたいと、めいめい思っているのだが、なに一つ思いつかないうちに岬の道を出はずれていた。宿屋の玄関の柱時計は今日もまた、みんなの足どりを正直にしめして八分ほどすぎている。それ、とばかり背中と脇の下の筆入れはいっせいに鳴りだし、ぞうりはほこりを舞いあがらせた。 ところが、ちょうどその同じころ、岬の村でも大さわぎだった。昨日は舟にのってきたとかで、気がつかぬうちにまた舟で帰ったのをきいた村のおかみさんたちは、今日こそ、どんな顔をして道を通るかと、その洋服をきているという女先生を見たがっていた。ことに村の入り口の関所とあだ名のあるよろずやのおかみさんときたら、岬の村へくるほどの人は、だれよりも先にじぶんが見る権利がある、とでもいうように、朝のおきぬけから通りのほうへ気をくばっていた。だいぶ永らく雨がなかったので、かわいた表通りに水をまいておくのも、新らしい先生を迎えるにはよかろうと、ぞうきんバケツをもって出てきたとき、向こうから、さあっと自転車が走ってきたのだ。おやっと思うまもなく、「おはようございます」
あいそよく頭をさげて通りすぎた女がある。(573)
「壺井栄 『二十四の瞳』 の9」: 自転車はすうっと鳥のように近づいてきたかと思うと、洋服をきた女が、みんなのほうへにこっと笑いかけて、「おはよう! と、風のように行きすぎた。どうしたってそれは女先生にちがいなかった。歩いてくるとばっかり思っていた女先生は自転車をとばしてきたのだ。自転車にのった女先生ははじめてである。洋服をきた女先生もはじめて見る。はじめての日に、おはよう! とあいさつをした先生もはじめてだ。みんな、しばらくはぽかんとしてそのうしろ姿を見おくっていた。全然これは生徒の敗けである。どうもこれは、いつもの新任先生とはだいぶようすがちがう。少々のいたずらでは、泣きそうもないと思った。「ごついな」
「おなごのくせに、自転車にのったりして」 「なまいきじゃな、ちっと」 男の子たちがこんなふうに批評している一方では、女の子はまた女の子らしく、少しちがった見方で、話がはずみだしている。「ほら、モダンガールいうの、あれかもしれんな」
「でも、モダンガールいうのは、男のように髪をここのとこで、さんぱつしとることじゃろ」 そういって耳のうしろで二本の指を鋏にしてみせてから、「あの先生は、ちゃんと髪ゆうとったもん」
「それでも、洋服きとるもん」 「ひょっとしたら、自転車屋の子かもしれんな。あんなきれいな自転車にのるのは。ぴかぴか光っとったもん」
「うちらも自転車にのれたらええな (569)
2024年9月の日中翻訳優秀答案当選者8名: ★德永圭一 ★兼宗遥 ★心山友理恵 Jack Zhang 田秋燕 长谷川慧一 江川美帆 山下みるこ 努力翻訳者:劉森文 久保春奈 陈玲玲 周玲
壺井栄 『二十四の瞳』 の9」: 自行车嗖的一声像飞翔的小鸟似地飞到跟前,一位穿着西装的女子从车上向他们莞尔一笑,一边说着:“早上好!“一阵风似地驶过去了。她准是新来的女教师没错儿,大家都没有想到一定是走路而来的女教师竟然骑自行车飞奔而来。他们还是头一次见到骑自行车的女教师呢,穿西装的女教师当然也是头一次见,居然还在见面的头一天就给大家打招呼:“早上好”的女教师也是头一次见。大家都愣在那里目送着远去的女教师的背影。他们简直成了女教师的手下败将。不管怎么说她跟以往的新任女教师完全不同呀。小小的恶作剧是不可能把她惹哭的。“真酷。”“一个女人居然还骑自行车!”“神气活现的,不是嘛” 男孩子如此评论。但女孩子却有女孩子的看法,她们的评论却不大一样,她们起劲儿地议论着:“哇,摩登女郎呀,她不就是那样的嘛。”“不过,摩登女郎的话一定会像男孩子一样,把头发剪到这么短吧。”说话的女孩子用两根手指做成剪刀的样子在耳后比划着。“那位女教师明明结着发呀”“这样还穿西装呢。”“说不准儿她家是自行车行吧,所以才会有那么漂亮的自行车,闪闪发亮的。”“要是我们也能骑上自行车那敢情儿好”。(德永圭一 兼宗遥)
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