華僑の家廟のような純中国風の
宇治市黄檗山万福寺
情報更新は:2013年3月26日
凌炎
華僑の「家廟」のような純中国風の宇治市の黄檗山万福寺 http://www.obakusan.or.jp/ 江戸時代の1661年中国明朝時代の臨済宗の隠元禅師によって開山されました。隠元禅師は中国福建省福州府福清県にある黄檗山万福寺の住職でした。当時日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時、弟子20名を伴って1654年来日来ました。京都府宇治市で中国の自寺と同じ「黄檗山万福寺」と名付けました。その後、日本では三大禅宗の臨済宗、曹洞宗ち黄檗宗になりました。隠元禅師は、禅宗だけでなく、明代の美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷、煎茶、普茶料理など広い範囲でわたり、宗教界だけとどまらず、広く江戸時代の文化全般に影響を及ばしました。隠元禅師は明朝からもって来た大陸のものは隠元豆、西瓜、蓮根、孟宗竹、筍、木魚などもありました。いままで、年々中国式の法式で忠実に継承しています。特にお経の読みはいまも唐音とよばれる中国語を基本として読んでいます。さらに黄檗のお経の中には「梵唄(ぼんばい)」と呼ばれるものがあります。これは字にも表わされているとおり、歌のようなお経です。声明などとはま
た違い、4拍子を基本とするリズムを刻みながら節の付いたお経を詠んでいくとても音楽的なお経です。法要ではこれに、いろいろな鐘や太鼓などの鳴物を合わ せて音楽を演奏するかのように読経が行われます。一度お聴きいただけば、今までのお経のイメージががらりと変わることでしょう。
黄檗山万福寺の後ろにある「華僑霊園」は印象でき、まったく中国式の円形の墓の「墓誌銘」は懐かしい気持ちが油然に生まれる。
黄檗山万福寺全景
山門
中国からの黄檗宗、曹洞宗、臨斉宗、天台宗、律宗の寺院は必ずある禁止令
荷花池
大雄宝殿、黄檗山万福寺の本堂、日本最大なチーク材料で作った歴史建築物
大雄宝殿の匾
大雄宝殿内の十八羅漢
天王殿内の布袋和尚
布袋和尚に願い袋
黄檗山万福寺の開山法師隠元は明朝から日本へ持ってきた「いんげん豆」
「いんげん豆」、中国名は「四季豆・菜豆・扁豆」
開版・魚梆(中国語は木魚)、時間を知らせために今も使っています
黄檗山万福寺の後ろにある「華僑霊園」
華僑墓地
中国式の円形の墓
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