宋代の気息をたっぷり感じる永平寺


 

凌炎

 

 

 ◆2012年5月福井県の永平寺を参拝しました。永平寺は1227年中国大陸で留学僧した道元法師が開山した日本の禅宗「曹洞宗」の寺。1191年中国大陸で留学僧した栄西法師が開山した京都での禅宗「臨済宗」の建仁寺とともに日本で禅宗を広げました。

◆「禅」は572年菩提達磨大師始めでした。達磨は印度僧人、中国で活躍していました。少林寺て9年間「面壁座禅」で有名でした。

◆800年前の宋の時代から伝統守る続けている福井県の永平寺は、道元法師は宋朝から戻って、教えた色んなことは弟子の懐奘が記録して「正法眼蔵随聞記」という本には徹底できに中国禅宗の作法などをかきました。いままでも、禅宗のバイブルのような教科書として永平寺で教えています。永平寺は道元法師の時代から今まで、たくさん「宋」の時代の「気息」が残っています。中国でも残されていなかったことは永平寺に残されています。(文 凌炎 )

 

永平寺前の龍門

 

参道両側の古木

 

山門の四天王(中国では四大金剛)

 

山門上の「吉祥」の額、この額から「吉祥永平寺」の名前になった。

 

僧堂

 

山門から石階段

 

大庫院の額、昭和5年(1930年)改築

 

大庫院は3階があり、1階は台所、2階は来賓室、3階は大広間

 

 

 

 

吉祥閣

 

吉祥閣内の額

 

東司―トイレ

 

永平寺で東司の作法はかなり厳しいらしい、しかも、すべて「正法眼蔵随聞記」に「洗浄」の巻から。 野々村馨氏の「食う寝る坐る永平寺修行記」により:

「まず、東司へ行くには、必ず手巾を持つ。手巾はニ重にして、左肘の衣の上に掛けるがよい。そして東司に着くと、手巾を竿に掛けよ。その掛け方法は、肘に掛けた時と同じようにする。もし袈裟を着けていたならば。袈裟は手巾と並べて掛けるがよい。落ちないように、ちゃんと並べて掛けるべるである。乱暴に投げ掛けたりしてはいけない。

  衣はぬいで手巾の傍らに掛けよ。そして手巾で衣を結わい、衣に向かって合掌する。

次ひ襷(だすき)を取って両肘に掛けよ。

そして手洗場へ行き水桶(みずおけ)に水を汲み、それを右手にさげ厠(かわや)へおもむく。水桶の水は、いっぱいにしてはならない。九分を限度とする。厠の入口では、履物を蒲(がま)で作られた草履にかえ、自分の草履は厠の入口にぬぐ。これを換鞋(かんあい)という。

    厠の中に入ったならば、左手で扉を閉めよ。次に、水桶の水を少し便器の中に注ぐ。終わって、水桶を正面の置くべき所に置く。そして立ったまま便器に向かつて、三度指をならす。その時、左手は握つて左腰につけておくがよい。

   ついで着物の端を持って、両足で便器の両端を踏み、かがんで大小便を行ずる。両端をよごしてはいけない。前後にかけてはいけない。この間、黙然としているがよい。壁をへだてて談笑したり、声を上げて歌つたりしてはならない。鼻汁ゃ峨などをふりまいてはならない。にわかに、力んではならない。壁に落書をしてはならない。厠の箆で地

面をつついてはならない。

   用を足したならば、箆でオき取るがよい。また紙を用いる法もあるが、古紙を用いてはならない。字を書いた紙を用いてはならない。

   次に、箆あるいは紙を使つた後に洗浄する法は、右手に水桶を持ち、左手をよく湿らせたのち、その手を杓のようにして水を受け、まず小便のところを洗浄すること三度するがよい。続いて同様に、大便のところを洗浄せよ。作法のごとく洗浄し、清潔にするがよい。その間、荒々しく水桶を傾け、水をこぼしてはならない。

     洗浄し終われば水桶を置き、箆をふき、乾かすがよい。紙を用いてもよい。…

 

以上、永平寺で一度東司へいく勇気がありますか?

 


日中文化交流

情報更新は2012年5月3日

 

 


 

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