骆驼祥子》1930年代北平(现北京)城里年轻好强、充满生命活力的人力车夫祥子三起三落的人生经历的长篇小说。祥子来自农村,贫困的农村使他再也不愿意回农村。在北平当上了一名租洋车,拉洋车的洋车夫(洋车即人力车)。祥子的最高愿望是以自己的诚实劳动买一辆属于自己的洋车。他用三年的时间勤奋劳动,省吃俭用,终于实现了理想,买上了自己的洋车。但刚拉上才半年,他的车就被逃兵掳走,失去了洋车的祥子只牵回三匹骆驼。因而被大家取笑为骆驼祥子。之后他娶了洋车行老板的女儿虎妞为妻后再次有了自己的洋车,但好景不长,虎妞死于难产,他不得不卖掉洋车料理丧事。以后同居的妓女小福子因被拍卖而自杀,祥子彻底失望而走向了堕落为“城市垃圾”的道路。中國文化沙龍從2023年11月到2024年12月分14次連載。 老舍《骆驼祥子》9:地名他很熟习,即使有时候绕点远也没大关系,好在自己有的是力气。拉车的方法,以他干过的那些推,拉,扛,挑的经验来领会,也不算十分难。况且他有他的主意:多留神,少争胜,大概总不会出了毛病。至于讲价争座,他的嘴慢气盛,弄不过那些老油子们。知道这个短处,他干脆不大到“车口儿”上去;哪里没车他放在哪里。在这僻静的地点,他可以从容的讲价,而且有时候不肯要价,只说声:“坐上吧,瞧着给!”他的样子是那么诚实,脸上是那么简单可爱,人们好象只好信任他,不敢想这个傻大个子是会敲人的。即使人们疑心,也只能怀疑他是新到城里来的乡下老儿,大概不认识路,所以讲不出价钱来。及至人们问到,“认识呀?”他就又象装傻,又象耍俏的那么一笑,使人们不知怎样才好。两三个星期的工夫,他把腿溜出来了。他晓得自己的跑法很好看。跑法是车夫的能力与资格的证据。那撇着脚,象一对蒲扇在地上扇乎的,无疑的是刚由乡间上来的新手。那头低得很深,双脚蹭地,跑和走的速度差不多,(421) 中日譯文
老舍《骆驼祥子》8: 地名に関しては彼がよく知っている。たとえ遠回りになってしまうときがあっても問題ない、幸いにして彼には力があるのだから。車を引く方法は彼がやったことのある数々、例えば:大八車を押すと引っ張る、天びん棒で担ぐなどの経験と考えすれば、車を引くのことはすごく難しいというほどのこともない。その上に、彼は自分なりの考えがある、車を引く時周辺を多めに気を付け、争うことは極力避ける。こうすればどんなトラブルもおこらないでしょう。ただ一点、値段を掛け合う交渉やお客を奪うとは、かれの口調は激しくないし気も短い、すれっからしの車夫たちに負ける。この短所に本人が気がついた。かれは、いっそお客が多く集まっている乗合所「車口」にあまり行かない。誰も人力車を置かない場所で客を待つ。このような静かな場所で、落ち着いてゆったり値段の交渉できる。さらに、このようなケースもあります:価格を提示せず、ただ一言:「乗れるよ、値段は任せるよ」。彼の外見は、誠実で、顔つきが単純で、愛嬌がある、人々は彼を信頼して任せるしかない、というようだ。このばかのようなのっぽは騙すことを信じられない。たとえ少し疑いを持ったとしても、きっとこの男は町へやって来たばかりの田舎者の車夫だろう、おそらく道をよく知らないんだ、だから値段の交渉がしない。例え、客に「場所知っているか?」と尋ねられたら。かれは、ぼけの振りして、媚びを売るかのように、にっこりと笑う。客はどうして答えいいのか分からなくさせる。2〜3週間が経ったころ、彼の足は俊敏さが出てきた。彼は自分の走る姿は美しいと自覚した。走るスタイルは車夫の能力と資格の証である。ある走り方、足を八の字に曲げながらまるでうちわが地面で揺れているかのように走る、これは間違いなく田舎からやってきたばかりの新人である。またある走り方、頭を十分低くして、二つ足を引きずるように動かす、走るか歩くかほとんど変わらない…、(江井美帆 藤原泰則) |