2014年3月12日久しぶりの小春日和のいい天気、夫婦二人京都から出発、大阪府高槻市の若山神社から後ろの若山登り。315メートルの低山、2時間かかりました。下山の時、「悠久の丘へ」の標示を沿って、意外には「安満宮山古墳」は表しました。これは山登りの意外な楽しみでしょうと興奮しました。古墳は透明なプラスチックケース蓋しています、上から中に見えます。遺骨の周辺は白い線で指示、副葬品はまさか「青龍三年」を凸鋳造した漢字の青銅鏡数枚でした。同じ「青龍三年」を凸鋳造した漢字の青銅鏡は1994年京都府の丹後半島弥栄町の「太田南古墳群」にも発見、見物と報告会をために行きました。資料によれば、235年は、中国大陸は後漢滅亡後の三国時代。青龍三年は魏明帝の魏の年号です。その時中国はまだ統一していません。三国時代は魏(黄河流域、華北平原の大部、渤海東海沿岸)、蜀(陝西、四川、貴州)、呉(長江下流)の「三国鼎立」時代でした。その三つ国は、蜀国は内陸、呉国は東海と南海と近隣ですが、海辺は殆ど未開化の民族。その魏国は、中華文化の発源地ですし、海岸線は長いので、朝鮮半島の三国(新羅、高句麗、百済)及び海中の倭国と交流は当たり前のことでしょう。(写真、文 凌炎
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