日本の餃子文化

凌炎

 

 

静岡県宇都宮市JR宇都宮駅前の「餃子像」

 

 

中国では、餃子の起源は様々の説があり、考古学により、紀元前6世紀ころ、遺跡により餃子の形と似ている食物がありました。敦煌にある唐代の古墳から乾燥状態の餃子も発見した。実には、餃子の食材小麦粉は、シルクロードでメソボタミヤ文明の発源地イラク、イランから中国へ来たらしいです。そして小麦粉は、中国でも、近代まで、中国北方、主に河西走廊、黄河流域、東北地区一帯の庶民の主食になりました。 前世紀60年代まで、中国の北方は、高粱(こうりょう)、とうもろこし粉、らめん、うどん、小麦粉の餅や餃子は主食ですが、南方は米や米の粉は主食でした。北方では、餃子は日常な食事でなく、贅沢の代名詞として、お誕生日、正月、などお祝い日に食う食品です、まるで日本の「赤飯」の感覚。南方は、主食ではなく「点心」「軽食」として食べています、屋台や茶館や小吃店で食べます。そして、中国の北方では誰も餃子を作れますが、南方出身の方は、そんな技術は身につけていません。

 南方や北方は餃子には「水餃子」や「蒸し餃子」は主流です。「焼き餃子」は「鍋貼グオティエ」といいます。

 どうして、中国では、餃子は文化ですか? 実は、いろんな奥意味がありますので、まず、餃子の「餃」は、「食」辺と「交」字の組み合わせです。すなわち、「餃子」は「交子」です。「交子」は「男女交合多子多福」と意味する。次は、餃子の形は「金元宝」「銀元宝」と似ています。「金元宝」「銀元宝」は、金と銀の通貨です、紙幣流通以前も清の時代まで、全国で流通していました。「元宝」を「食う」は「招財進宝」を意味する。その意味でお誕生日、正月、などお祝い日に食う食品になりました。時に、占い好きな家族は、必ず一つ洗った「コイン」を入れて、当たった人は、今年は「運気享通」になります。

 

日本では、文献により、江戸時代から餃子を食べる記録はありました。明治時代までにも餃子を出し中華料理店はありました。でも、一般の庶民には、普及していませんでした。 日中戦争中、中国の東北地区の満州から、餃子の文化を日本にもってきてから、だんだん流行になりました。戦後、引揚者により、広く普及しました。でも、餃子の皮は、水餃子の厚い皮でなく、薄い皮を採用して焼く餃子は主流になりました。

日本では、静岡県の宇都宮市と浜松市は、餃子消費量は日本第一並びます。

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日中文化交流

情報更新は2014年3月29日

 

 


 

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