日本と中国の獅子舞

 

日本の獅子

 

日本の獅子

 

日本の獅子

 

中国の獅子

 

 

中国の獅子

 

 

中国の獅子

 

    中国の古代文献により、獅子舞最初の記載は 「漢書・礼楽誌」にあります。

 

  その中には「像人」という役があり、その「像人」は、 魚、蝦、獅子を演じる役と解釈できます。

 

  それから「獅子舞」の起源時期は、 紀元前の200年前後と分析できます。大量の記載は、 後漢時代、三国(魏、蜀、呉)時代、南北朝時代、唐代と明代。 唐代では、数百人規模の集団獅子舞が主流です、宮廷舞踏 としても上演されています、名前は「太平楽」や「五方獅子舞」など、 お祝いの時、喜び気持ちを表す舞踏として民間や宮廷でも盛んに行われていました。

 

  日本の平安時代(中国の唐代)の舞楽の各曲を描いた「信西古楽図」 は唐代の歌舞伎を日本へ伝えた図鑑です、その中には 獅子の首につけた綱を引く綱引と2人の獅子児がいます、 舞楽の獅子としてはじめての記載です。

 

  『日本書紀』によると、 推古天皇20年(612)、日本に帰化した百済(くだら)の美摩之が 呉の国で学んだ「伎楽舞」を伝えたとあります。

 

  その伎楽というのは仏供養の楽舞としての一種の仮面行列で、 その先頭に悪魔払いの獅子が出るのです。 これが日本で最初の獅子舞かもしれません。 即ち、日本では、朝鮮半島から輸入の獅子舞と中国から直輸入の獅子舞の 2系譜の獅子舞があります。一つは関東・東北地方で行われる鹿踊と呼ばれる 群舞する獅子舞。

 

  これは朝鮮半島から由来の日本古来の獅子舞です。

 

  もう一つ系譜は、大陸から伝来した伎楽系の唐獅子の頭に幌をつけた 二人立ちの獅子で、中部以西の西南日本で盛んに行なわれています。

 

   「禹」は、伝説中の夏商周時代の帝王尭舜の後継者の苗字です。

 

   大陸では、初めての水利工程の英雄として記念しています。

 

  「獅子」との関連性はあまりなさそうに思います。 「禹の紋入りの獅子舞」の記載は、見つけません。

 

   「家紋」という概念は、大陸人の発明はかもしれませんが、 中国ではあまり流行していません。そして、「禹の紋入り」と いう概念自身は、純粋な日本文化と思います。

 

  大陸から 伝えた獅子舞と無関係でしょう。 「麒麟」は、唐代の物語「大業拾遺記」に、孔子誕生の物語の 「孔子未生時有麟吐書於闕里人家」の記載からと言われています、 それによって「麒麟送子」伝説は唐代から流行しているようです。

 

  即ち、 「麒麟」の姿は、「子供が生まれる」、「才子が生まれる」の2つの説からなっています。

 

   「麒麟」と「獅子」は無関連の2つ形象です。 結論は、「獅子舞」とは中国大陸との関係があります、 「禹の紋入り」、「麒麟」とは、 中国大陸では、「獅子舞」と無関係と思います。

 

(凌焱 まとめ)

 


日中文化交流

情報更新は2002年2月19日

 

 


 

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