日本で見られる中国文化


戦国時代の銅馬車は南知多半島発見
始皇帝の兵馬俑は日本で「出土」
天安門が日本の中部山脈にある!
大陸からの亡命者三千人は紀伊半島の熊野灘から上陸
中国風「牌楼」は和歌山県新宮市の徐福公園の玄関
正真正銘の避暑山荘の「澹泊敬誠殿」は琵琶湖畔で再現






びっくり!1970年代陜西省西安の兵馬俑遺跡で出土した、ただ2台の銅馬車の中の一つを2007年愛知県知多郡で発見!スーパーマジック見たいです!盆休みの間、数日前にあるテレビ番組で紹介したことを自分の目で確認したいために知多半島走った。南知多半島の海辺で一泊の後、HPの指示の通りで、やっと布土半月の田んぼの真ん中の一つに黒い倉庫のような建築物を発見、入り口に「美術の森」の指示があり、やはりここだ!乗ってきた車を建物の前の駐車場に置いて展覧室に入った。薄暗い照明の空間に、2台の青銅馬車と8頭の白い馬たちが目の前に現れました!大きさは大体実物の半分位、先頭の4頭の馬の後ろに青銅傘(なんという薄さ!)があり、立っているギョシャは、縄(材料不明)で馬を綱いで先導しているらしい、後ろの馬車の運転手は座って、背が低い馬車を操作しているらしい。なんと!これは兵馬俑遺跡を発掘の発掘品と言われています!






びっくりのもう一つは、写真の通りです。きちんと整列している武将たちは、中国の西安でなく姫路市西の「太陽公園」です。テレビの紹介により、自分の目で確認したいために車で行きました。中国高速の姫路西出口を降りて10分位「太陽公園」がありました。入門券は500円です。玄関は白亜のパリの「凱旋門」!大きさは多分半分ぐらいですが、彫刻はかなり繊細で、まるで本当にパリですよ!モアイ像から53体の世界名彫刻の林を通過、「始皇帝の兵馬俑館」に着きました。大きい建物の中に、2つ兵馬俑坑には数千の兵士と馬たちが目の前に現れました!その建物の傍には、「万里の長城」の「登城門」に着きました!「万里の長城」は山の脈を沿って!まさか2キロぐらい長さ!





天安門の場所に建てられた最初の城門は、紫禁城を建設した明の永楽帝時代の1417年に建設された「承天門」である。この門は1457年に落雷で焼失し1465年には再建されるが、1644年の李自成の北京攻撃によって明王朝が滅亡した際に再度焼失した。現在の門は清の順治帝時代の1651年に再建されたもので、このときに現在の天安門という名に改名された。この天安門という名称は「天上の平和の門」という意味にも取れるが、満州語の名称は「天命を受けて安定した(平和な)国を治める」の意であり、それを省略した形が「天安門」と考えられる。なお、昔は紫禁城の北にある景山のさらに北に「地安門」があった。明・清両王朝時代は、大きな法律や命令は最初にこの門から発表された。また、出発したり凱旋する軍隊を皇帝が謁見する場所でもあった。1949年10月1日に行われた中華人民共和国の建国式典で、毛沢東は建国宣言をこの門の上で行った。それ以降この門は中華人民共和国の象徴とされる。





紀元前210年(始皇帝37年)、当時の世界一の大帝国:秦の始皇帝朝廷は、徐福という方士(神道を信じて神仙を目指している人)を3回に渡って3000人以上の童男童女匠人たちを伴わせて「東瀛」という太平洋「蓬莱の国」に派遣しました。ところが、なんと、全員が姿を消して2200年以上に渡り「行方不明」になってしまいました。しかし、2200年の間、日本、韓国、琉球、ハワイ・・いろんなところから「徐福及び膨大な船隊上陸!」のうわさは絶えないのです。日本でそんなに広がっている「徐福伝説」を中国人や台湾人は予想以外と思います。ちょっと資料を広げれば、日本では北か南へ青森県の小泊村、秋田県の男鹿市、山梨県の富士吉田市、東京都の八丈島、青ヶ島、愛知県の小坂井町、三重県の波田須、京都府の伊根町簗まし高知県の佐川町、山口県の祝島…びっくり!やはり大陸からの亡命者は日本の各地に上陸と確信しました!






筆者は、2004年ゴールデンウィークにドライブ中、紀伊半島の南端の新宮市で突然・・・「徐福公園」を発見!建設費用は6億円以上、ガイドさんの情熱(徐熱?)且つ雄弁な解説には、なるほどと連発、かなり素敵な「徐福公園」の玄関(しかし・・入場無料!)です。台湾の故宮の設計者の作品です。材料も殆ど台湾からのものです。気迫な気分で!徐福さまへ「粛然起敬」の気持ちになります。公園の中にある昔からの「秦徐福之碑」は和歌山県産の緑泥片岩の岩石に刻んだ文字の碑です。いつの時代に刻んだ文字かは、不明。一説には、初代の紀州藩主徳川頼宣の意思で中国人亡命者の儒臣李梅溪(明代?)が書いた文字で建てた碑とのことです。








北京北256キロの承徳の郊外には、清朝代々の皇帝の夏の離京「避暑山荘」があります。筆者は20数年前に、旅行したことがあります。しかし、その「避暑山荘」中にの「澹泊敬誠殿(たんぱくけいせいでん)」は、滋賀県の東近江市郊外の五個荘に発見。筆者は2009年5月のある日曜日、「1000円高速」を利用して、京都から渋滞なく1時間以内竜王インターチェンジで出て8号線に沿って「観峰館(かんぽうかん)」を目指し、道路の側にある広い敷地の「観峰館」を見つけました。吹き抜けの高いエントランスホール、城のような展示室、可愛らしい「四合院」、膨大な数々の中国文化の関連展示品…すべて予想以上のものです。この観峰館は、「日本習字教育財団」(多分「日本漢字協会」と無関係だろう?)の創始者で書道家の原田観峰先生(1911〜1995))が長年にわたって集め得た中国文化関連の文物を常設している展覧館です。その中には、康煕帝の書斎「三希堂」も真似て展示しています♪…




日中文化交流
情報更新は2012年2月1日



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