日中翻訳コンテスト  2007年12

              

 


 2007年12月の優秀答案当選者5名: 景小芳(中国南京市)、施栄濤(埼玉県志木市)、山田藤江(静岡県伊東市)太田富士夫(広島県呉市)上野雅江(香川県高松市)

 

 

「先生と私」の3:それから二、三日たった後のことでしたろう、奥さんとお嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くと言ってうちを出ました。Kも私もまだ学校の始まらないころでしたから、留守居同様あとに残っていました。私は書物を読むのも散歩に出るのもいやだったので、ただ漠然と火鉢の縁に肱をのせてじっと顋を支えたなり考えていました。隣の部屋にいるKもいっこう音を立てませんでした。双方ともいるのだかいないのだか分からないくらい静かでした。もっともこういうことは、二人の間柄としてべつに珍しくもなんともなかったのですから、私はべつだんそれを気にもとめませんでした。十時ごろになって、Kは不意に仕切りの襖をあけて私と顔を見合わせました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。私はもとより何も考えていなかったのです。もし考えていたとすれば、いつものとおりお嬢さんが問題だったかもしれません。そのお嬢さんにはむろん奥さんもくっついていますが、近ごろではK自身が切り離すべからざる人のように、私の頭の中をぐるぐるめぐって、この問題を複雑にしているのです。Kと顔を見合わせた私は、今までおぼろげに彼を一種の邪魔もののごとく意識していながら、明らかにそうと答えるわけにいかなかったのです。私は依然として彼の顔を見て黙っていました。するとKのほうからつかつかと私の座敷へ入ってきて、私のあたっている火鉢の前に座りました。私はすぐ両肱を火鉢の縁から取り付けて、心持ちそれをKの方へ押しやるようにしました。Kはいつもに似合わない話を始めました。奥さんとお嬢さんは市ヶ谷のどこへ行ったのだろうと言うのです。私はおおかた叔母さんの所だろうと答えました。Kはその叔母さんはなんだとまたききます。私はやはり軍人の細君だと教えてやりました。すると女の年始はたいてい十五日過ぎだのに、なぜそんなに早く出かけたのだろうと質問するのです。私はなぜだか知らないと挨拶するよりほかにしかたがありませんでした。(つづく)(夏目漱石)



《先生与我》之3:那之后两三天吧,太太和小姐一大早要去市谷的,便出了。K和我都没有学,因此一起留守家中。我既不喜欢读书讨厌出去散,所以就茫然地将手臂撑在火盆上,托着腮一地想事情。隔壁房K也是没有一点声响。一片寂静,静得我两人都搞不清楚是否有人在。两个人之系,并不得有什,所以我也没有特在意。十点左右,K突然拉隔断,出在我面前。他就站在口,我正想什。我本来就没在想什。如果想了,那也跟以往一,在想小姐了。小姐身边总是跟着太太,而最近K又成了必的人,我袋中不停地这样想着,把问题搞得很复杂。与K撞面的我,一想着一直以来自己隐约将 他视为眼中,却不能那。我仍然看着他的,默不做声。而K却径直入我的房,坐在我取暖的火盆前。我立刻将双臂从火盆上抽回,并将火盆稍稍推向KK一些反常的。他,太太和小姐去市谷哪里了啊。我回答,大概是她叔母那里吧。K,那叔母是什人。我告他,也是人的妻子。接着他又,基本上女人年都要忙十五的,们这么早就出了啊。我只能寒暄道,不知道。(未完待)(夏目漱石(翻訳者:景小芳)