「大人の男の居場所は」:男が生きにくい世の中になっていると思う。とりわけ、四十代から六十代にかけての大人にとってだ。数日前、都心のイタリアレストランで食事をした。一流店といわれていただけに、料理にも雰囲気にも満足した。しかし一点だけ、わたしは不満だった。甘さの濃いデザートがなかったのだ。和食のように砂糖を使っていない料理を楽しんだ後というのは、とびきり甘いデザートが欲しくなる。体が甘さを欲するのだ。「昔は甘いデザートを出していましたけど、女性に不人気なので、メニューから外してしまったんです」店主はその時、申し訳なさそうに言った。わたしは、うなずくしかなかった。店のターゲットは女性であって、大人の男ではないということを悟ったのだ。多分、そうしたことはその店に限ったことではないと思う。消費の中心が女性と若い男性とされている以上、メーンのターゲットに向けた品ぞろえになっていくのは当然なのだろう。男が弱くなったと言われて久しい。わたしが思うに、消費の中心が女性と若い男性とされたことで、大人の男がはじかれてしまったことから生まれた考え方だ。はじかれた結果が、単にレストランのメニュー変更になるだけならかまわない。が、それが文化や芸術といった方面にまで広がっていくとしたら。バランスのとれでいない、いびつな価値観の社会になってしまうはずだ。(神崎京介)
参考翻訳:≪男人们究竟去哪儿才好≫ 我想今天的世界将慢慢地变得让男人们生活得不自由自在了吧。特别是对四十来岁和六十来岁的中年男人们来说。前几天,我去东京都内闹市区的一家意大利西餐厅用餐,那儿不愧是一流餐馆,我对菜淆和气氛都感到非常满意。但唯有一点令我不满意的地方是,没有一道餐后浓浓甜味儿的甜点心。在享受过和日本菜一样不使用砂糖的美淆后,特别甜的甜点令我向往,仿佛从喉咙里伸出手来。老板露出抱歉的神情对我说:“过去也有过甜点这道菜,但是由于不受女性们的青睐,所以就从菜单中钩消了”。听到这句话后,我也只好点点头。那时我就领悟到了,这家餐馆的对象是女人而不是男人。我想,像这样的餐馆决不只一家。既然消费的主角是女人和小伙子,那么为主角们备齐所需品也理所当然了。「男人越来越弱」的说法久违了,我想,这莫非是「让男人们不好意思」的一种手法吧,其结果,单单是变变餐厅的菜单我倒不在乎。要是这样下去发展到文化或艺术方面的话,这个社会自然将变成一个消费不平衡,价值观被歪曲的社会了。(冷静)