「人間は美しい」:人間は美しい老いも若きも、男も女も美しい。その美しさと器量の良しあし、才能の有無など、無関係である。生きているだけで美しいのである。奇跡の惑星である人間に、「生きている」という事実以外に、何の付け足しがいるというのだろう。人間を人間と考えずに、残虐のかぎりを尽くして、大量殺戮をやってのけるのも、また人間である。しかし、それは大いなる錯誤をもった人間は怒りや敵意など、否定的な感情に支配される。その錯誤の正体は「自分が自分である」ことに自信を持てない不安感である。人間は、自分と他人の比較という罠に陥り、「自分が自分でない」ものになろうとして、悪あがきをする。そこに人間の幼さがある。しかし幼い自分も、そのまま受け入れてあげると、人間の美しさが見えてくる。悟った者も悟らぬ者も、人間であることにはかわりはない。今日も安心して「人間屋さん」をやっていれば、いいのである。そんな単純なことを親や教師が理解しないから、子供たちまでが悪あがきをして、イメジやら自殺をしてしまう。明日死ぬかもしれないのに、進学、就職、結婚という未来の幻想にために、「今」を犠牲にしてしまう愚かさに気づきさえすれば、ますます人間は本来の美しさを発揮することになる。(町田宗鳳) 「人间美好」:「人人都「美」,不管老,也不管少,不管是男,也不管是女。「美」和度量的大小和才能的有无没有关系。人只要活着就是美 。但是,犹如充满奇迹的惑星般的「人」 除了“活着”这个事实以外还缺点儿什么呢?人不把自己看成是人,竭尽残暴之能事对人进行大量杀戮的也是「人」。犯这样过失的人除了「愤怒」、「敌意」之外、他们是被一种否定人间社会的感情所支配。这样的过失源于他没有「我就是我」的自信而发生的不安感。人往往自己陷入和他人比较的陷井之中,他为了证明自己「我并不是我」而坏事做绝。这就是人的幼拙。但是,如果一个人,把自幼的天真注入自己心中而成长起来的话,自然可以体现出人间的美好。人间既有大觉大悟的人,也有死不省悟的人。如果不迟于从今天开始有心开一家「塑造人间之店」的话,可是一件好事。由于这样简单的道理连父母和教师也不理解,难怪孩子们也坏事做绝,欺负同学,上吊自杀了。如果一个人想到该死去的日子并不是「今天」而是「明天」,从而为了实现「升学」、「就职」、「结婚」的梦想而摒弃「今天」的蠢愚的话,人间本来的美コ将得到发扬。」(翻译者:冷静) |