日中翻訳コンテスト  2006年12月

           


2006年12月の優秀答案当選者5名: 田中幸夫(横浜市)、垣谷好子(奈良市)、木村早苗(青森県)、小林敦子(佐賀県)、山中恵美(香川県)


「山に失礼のない家を」:38歳の時、八ヶ岳で暮らそうという話になったんだ。なぜ八ヶ岳って?そもそも僕の実家には「13歳になった子は1ヵ月ひとり旅させる」という家訓があってね。僕が旅したのがここだったんだ。駅のベンチで寝泊まりし、昼は野山を歩いた。里では戦後、外地から引き揚げてきた人たちが開墾に汗を流していてね。土地のことはそこでいろいろ教わった。そんなわけで、少年時代の思い出の地である八ヶ岳に最初、300坪ほどの林を買ったんだ。そして家を建てる前にまずしたことは、テントを張っての野宿。夜は闇の中で生き物の気配、風や川の音が聞こえた。「ああ。ここの生き物に失礼にならない家を建てよう」って思ったね。それならこどもの頃、親しくなった地元の農家のような、切り妻に白壁の家ならぴったりだ。ちょっど、そうな伝統的な家は暗くて汚いと、次々と取り壊しが進んでいてね。解体現場で部材や瓦をもらってきて、大工さんに建ててもらった。食堂と台所に畳一間だけの小さな家をね。荒ねた林だったから、広葉樹を植えて生き物の集まる雑木林にすることが大事な仕事になった。仕事を終えて来るだけで当時は4、5時間かかった。作業は当然深夜になる。するとパトカーが来るんだよ。そりゃ、夜中に頭にライトつけて、穴掘ってるんだもの。「たまきみか」。しまいにはお巡りさんもあきれてたよ。(柳生 博)


「盖房子也对得起山林」:我在38岁时,提起了在八之岳生活的话题。么在八之岳呢? 这得从我家的一训说起。“孩子13,就他独自一人旅行一个月。”就这样,我就旅行到了八之岳。上睡在站的椅上,白天在山野逛来逛去。那时,村子里,战争结束后从各地回来的人,千辛万苦地开垦荒地。我从他那里学到了很多当地的知识。正因如此原由,我就在钩起少年代回之地——八之岳,先300来坪*的树林,然后在盖起房子之前搭篷露上K暗中,我能听见生物们的动静、能听见声和流水声。那我就想:“啊!我要在这里建一座对得起生物们的家。” 这样想的话,我要建的最合适的家就如同我在少年时代交上的民朋友家那样的山形屋白粉墙壁的家了。正好,在那个时期、那种传统家屋的内部既显得灰暗又不干,因而相被拆。我从拆卸家屋的工地上要来材料和砖瓦,再木匠盖起来。盖起了一栋只有起居室和厨房的窄窄的单间小屋子。接下来,最重要的工作就是在荒的林,从而造成能吸引生物们来的木林。我下班后只是ー到里来就需要花45个小。自然,只能在深夜里干活儿了。那么一来,警车来了。嗬! 深更半夜的,一个人上又着灯又挖着坑。“又是你啊。” 无话可说的警察也只好死心了。(翻訳者:田中幸夫、垣谷好子)

 

*坪:日本的土地面积单  1­=3.306平方米