日中翻訳コンテスト  2006年11月

           



2006年11月の優秀答案当選者5名: 垣谷好子(奈良市)、 凌炎(京都市)、小野さとこ(岩手県盛岡市)、森本盛(佐賀県)、中山みえ(高松市小豆島町)


「石の生涯」:旅先でも、そうでなくても、つい石を拾ってしまう。よさそうなのがあれば持ち帰り、文鎮にする。本のページを押さえたり、紙類の重しに使ったりするのだから、小さくても掌くらいの大きさは必要だ。海外からも運ぶ。旅行中の荷を重くするので、拾うときは一旦、躊躇う。それでも、これぞ、という石であれば、衣類の隙間にでも忍ばせて運ぶ。イギリスの社会人類学者フレーザーが名付けた神話の類型の一つに「バナナ型」がある。東南アジアを中心に分布する死の起源神話だ。最初の人間に、神は、石とバナナを与える。石は食べられないという理由から、人間が選んだのは、バナナだった。その結果、石のような永遠の命を得ることは出来なくなり、バナナ、つまり植物のごとくに短い命の存在になった、というのだ石を口にしてみるべきだったのだろうか。机の上には、もう充分な石がある。灰色、深緑、縞模様。もし、屋外に捨てれば、その瞬間から文鎮ではなくなる。すんなり、石としての石に返る。どこにあっても、同じなのだ。硬い時間を重ねていく。そのことに引かれる。何十年、何百年後、一度は文鎮だった石たちが河原や野原に転がり、陽を浴びているところを想像するのは心愉しい。手に包むと、体温が移る。すぐ温まる。これが石なんだ、と思う。いつかは雨や風のなかへ戻っていく石を、額に当てて、頭を冷やす。(蜂飼耳)。


「石头的一生」: 在我出外旅行时或在日常生活中,捡石头已习已为常。每逢遇到好石头,就把它带回来当作镇纸用。为了压住书页的压石最小也需要有拳头那么大。有时还从海外带回来。这样一来,就使旅行中的行李加重,因此也难免犹豫一阵。不过,还是觉得值得,把看中的石头藏在行李中的衣服中间,偷偷地带回来。英国的社会人类学者弗雷泽把一种类型的神话命名为“香蕉型”。这是以东南亚为中心流传下来的关于死亡起源的神话。神话里、创世之初,上帝给了最初的人类以石头和香蕉。由于石头不能吃,因此人选择了香蕉。结果,人没能获得石头那样的永垂不朽的生命。人只能有像香蕉也就是植物那样短暂的生命。人莫非那时应该尝尝石头的味道吗?在我的书桌上,已经摆满了石头、有灰色的、有深绿色的、还有带条纹的……。如果把它扔到外边的话,从那一刻起,就不再是镇纸了。理所当然、又回到了普普通通的石头。无论在哪儿,石头总归是石头。永恒不灭。这样的想像令我浮想联翩。想像一下吧,几十年后,几百年后,那曾经做过镇纸的石头在河滩或原野上滚来滚去,晒着太阳的样子是多么令人愉快啊。用手掌握住它,我的体温传到石头上,很快就温暖起来。这就是石头。把那总有一天将会回归自然,任凭风吹雨打的石头贴在额头上,让我的头脑冷却一下吧。 (参考翻译:垣谷好子,凌焱 )