日中翻訳コンテスト  200610

              

 


 

2006年10月の優秀答案当選者5名: 田中幸夫(横浜市)、垣谷好子(奈良市)、小田達明(高松市)大山政弘(福井市)、谷村雅一(鹿児島県)


「相手依存の自己規定の5」:年齢四十歳の小学校の先生Aには妻と男の子一人、そしてまだ大学生の弟がいる。ほかに近い親族としては別居している父と兄がいる。この先生が幾つ自分の呼び方を持っているかとういうと、しくなく見て七種もあるのである。自分の子に対しては「お父さん」、弟に対する時は「兄さん」、妻と話す時は「おれ」、父に対しては「ぼく」、兄に対しても同様である。隣の子に向かっている時は「おじさん」、学校で生徒に教える時は、「先生」、同僚に対しては「ぼく」、校長に対しては「私」であることがわかった。この人は、話の相手がだれで、自分に対してどのような地位、資格を持っているかを見極めたうえで、その場に最も適切な言葉選びをしている。つまり、相手の性質が自分の自己を言語的に把握する角度に直接反映するのである。「自分は」何者であるのか」ということが、「相手はだれか」に依存する構造になっていると言える。このような言語による自己把握の相対性は、少なくとも西欧諸国の言語には全く見られないことは特筆に値する。


「依存于方的自我束之五」: 四十的小学教A先生、有妻子、一个儿子和一个在上大学的弟弟。其他的近的家族有分住的父和哥哥。位先生到底有多少自己的称呼呢?——至少有七自己的孩子把自己称“爸爸”,弟弟称“哥哥”,和妻子说话时称“俺”,于自己的父称“我”,于哥哥也同对邻居孩子说话时称“叔叔”,在学校教学生称自己“老”,同事也称“我”,称“本人”。个人非常清楚地分析说话于自己于何地位、具有何种资历、而挑出在那个合下最合适的一个称呼来。也就是方的格将通自己方所把握的不同角度的理解而用自己的言直接反映出来。也可以,形成了这样种语构:于「自己是什人?」的问题的回答要依存于“方是什人?”。得一提的是,这种过语言来把握自我的相性,至少在西方国家的言里,找不到任何似事例。(参考答案:田中幸夫,垣谷好子)