日中翻訳コンテスト  2006年4月

             

2006年4月の優秀答案当選者5名: 家田祥光福井市善光寺)、橋本明(高知市)、木原拓也札幌市)、田原千賀子(仙台市)、小野道哉(大阪市北区)


アッシジの聖地を訪れての2聖フランチエスコはアッシジの裕福な商人の家庭に生まれ、ペルージアとの戦いで捕虜となり、悲惨な体験をします。郷里のアッシジに帰ってからは、キリスト教徒に回心し、清貧の生活を選びます。差別されていたハンセン病者の家を訪ねては、生活を世話し、貧しい人の友となり、神に仕える生活に徹したのです。それが、地域のすべての階級のキリスト教信徒からあつい信頼を受けました。この聖フランチエスコへの信仰こそが、人々が献身する源になりました。そして多くの信徒の協力で、聖人の死からほどない1253年、2階建ての教会が完成したという、当時の建築技術からいって「奇跡」のような歴史に感動したのです。 教会内には、画家ジオットが描いた壁画もあります。ジオットは、28の壁画で聖フランチエスコの生涯を描きました。中でも貧しい騎士が自分のマントをフランチエスコに差し出す絵や小鳥に説教する絵などは有名です。聖フランチエスコの「平和と愛の祈り」をこの地であらためてかみしめました。これは彼のオリジナルではなく、20世紀初頭に彼をたたえる信者により唱えられたと言われています。「主よ、わたしをあなたの平和のために働かせてください。憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を」この聖地を訪れ新たな気持ちが沸いてきました。21世紀のどこかできっと、紛争のない平和がもたらされる、私はそう信じたい気持ちになったのです。(日野原 重明 )



访问圣地阿西吉之二:圣法兰契斯克生于阿西吉一个富裕的商人家庭。他有过在阿西吉和佩鲁吉亚战争中被俘的悲惨遭遇。战后他回到家乡阿西吉后,皈依基督教,选择了清贫的生活道路。他访问当时受到歧视的麻疯病人的家,帮助他们的生活。他和贫困的人们交朋友,他把自己的一切都奉献给了上帝。因此,他受到了当地所有阶层的基督教徒们的深深信赖。圣法兰契斯克信仰成为人们献身的精神动力。在他去世后不久,在很多教徒们的帮助下于公元1253年建立了一座两层的教堂。这座教堂的建筑技术以当时令人感动的奇迹而载于历史。教堂里有画家纪阿的壁画。在28幅壁画上描写了圣法兰契斯克的生涯。其中以穷骑士把斗篷献给圣法兰契斯克的画以及圣法兰契斯克向小鸟说教的画为最有名。壁画中可以再一次吟味到圣法兰契斯克「对于和平和爱情的祈愿」。当然,这句话并不是圣法兰契斯克本人的名言而是20世纪初期他的一位信徒所说:“主啊,让我为了您的和平而奉献,我祈愿一切的仇恨变为爱,让世界上所有纷争的人们都和好吧”。访问圣地后,我感到热血在沸腾。在我的心里一个愿望重新涌起 — 从21世纪的某一年开始,一个没有战争的和平世界将一定来到人间!(参考翻译: 家田祥光)