2005年4月
2005年4月中訳の優秀答案当選者5名:★(首選者)平松理恵(佐賀県)曹亜輝(中国青島市)松原泰一(石川県)平井幸子(和歌山市)
奥さんが終戦直後に中国大陸から引き揚げてきたことは、知り合ったころに聞いていた。大陸で生まれた奥さんは、母親と一緒に命からがら日本へたどり着いたのだそうだ。シベリアに抑留された父親が帰国するまで、だいぶ辛い日々をすごしたらしい。たまに当時を語ることもあるが、ふだんとちがって声を詰まらせる。それほど苦労をしたのに、なぜか奥さんは悠然としている。きっと大陸生まれのせいにちがいない、と旦那さんは思うようになった。しかし、それを頻繁に口にしだしたのは、5年前に定年退職した後である。いくら探しても再就職の口がなく、これからどうしたらいいのか、と落ち込んでいたら、「これまで充分に働いてきたんだもの。のんびりしましょう」と、奥さんが例の余裕たっぷりな笑みを浮かべた。
太太在第二次世界大战刚结束就从中国大陆回到日本来的事、她的先生和她刚认识的时候就知道了。听他这位出生在中国大陆的太太说:她和母亲冒着生命危险终于踏上了日本的土地。直到被苏军扣留在西伯利亚的她爸爸回到日本来的那段时间里她和她妈妈日子过得相当苦。她偶尔说起当时的情形,但每逢说起、她的声音就和平时不一样,甚至带着哽咽。尽管她吃了这样大的苦头,为什么她的态度却悠悠然呢。该不是太太生于中国大陆的缘故吧、她的先生这样想。但是常常从口里说起这些看法还是五年前他退休以后开始的。当时,他怎么也找不到新的工作,今后怎么办呢、他十分丧气。太太却带着她特有的泰然的笑容对他说 :“你已经满满当当地干到今天了,也该轻松轻松了” (翻译者:平松理惠) 关于夫人战争刚结束后从中国大陆撤回这件事,她的先生刚认识她那会儿曾有所耳闻。听说他在大陆出生的夫人,是同母亲一起历尽艰辛,最终才死里逃生回到日本的。母女二人艰难度日,直到被扣留在西伯利亚的父亲回国之后才有所改观。夫人偶尔也会谈起当时的情形,只是,每次都会一反平日的爽快,从不深谈。虽说吃了那么多的苦,可是不知为何夫人竟能够淡然视之。先生暗自思忖,一定是因为她生长在大陆的缘故。可是,自从5年前先生退休之后,夫人却开始经常提起当年的事情。当时,先生退休后怎么也找不到新的活干,为今后的生计而一筹莫展 。夫人微笑着安慰他说,“以前已经够拼命啦,今后就过几天悠闲的日子吧!”脸上依然是以往那种充满坦然的神情。(翻译者:曹亚辉) |