2005年1月
2005年1月中訳の優秀答案当選者5名:★(首選者)岡村明美(埼玉市)松村奈穂子(奈良市)田村進一(名護市)佐々木敦子(奈良市)
稲作は6000年前に:稲作の始まりに関しては「最古」がどんどん書き換えられている。「稲作は弥生時代以降」という常識が覆ったのは1978年。福岡市の板付遺跡で、縄文晩期(約3千年前・現在は弥生早期とも呼ばれる)の層から水田跡が見つかったのがきっかけだった。80年に佐賀県でほぼ同時期の炭化米が見つかり、縄文時代に稲作が行われたことは確実となった。その後の研究を大きく進めたのが、植物細胞の珪酸体「プラントオパール(PO)」の分析だ。イネ科の植物の葉にはガラス質の細胞が含まれており、葉が腐ってもそのまま残る。ノートルダム清心女子大の高橋護教授(考古学)は、その分析を通じて縄文時代の農耕を追いかけてきた。同教授が縄文中期(約4500年前)とされる姫笹原遺跡(岡山県)出土の土器からイネのPOを見つけたのが94年。99年には朝寝鼻貝塚(同県)で、ついに縄文前期前半(約6千年前)とみられるPOを発見した。だが、古い時期のPOが見つかっているのは、現在のところ中国地方に集中している。他の地域では、せいぜい縄文後期だ。その理由について高橋教授は「中国地方の食文化は、雑穀などの粒食を中心とする他地域とは異なるものだったのでは」と推測する。稲作起源をめぐる問題に結論を出すには、しばらく時間がかかりそうだ。
参考訳文:水稻栽培的起源可以追溯到六千年前: 关于水稻栽培的起源的“最古”时间不断被刷新。1978年在福冈市板付遗址的绳文时代晚期(大约三千年以前?现在也被称作弥生时代早期)的地层中发现了水田的遗迹,此发现推翻了“水稻栽培起源于弥生时代之后”的所谓常识。1980年,在佐贺县又发现了几乎同一时期的炭化米, 绳文时代的水稻栽培提供了确证。之后, 通过分析植物细胞硅酸体PO(Plant Opal) 技术,大大推进了研究的进程。稻科植物的叶子中含有玻璃质细胞, 叶子腐败后玻璃质细胞也仍然保留。圣母清心女子大学的高桥护教授(考古学) 通过这种分析技术,追溯研究绳文时代的农耕。1994 年,他在被称作绳文中期(大约4500 年以前) 的姬笹原遗址(冈山县)出土的陶器中发现了稻的PO。1999年,他又在朝寝鼻具塚(冈山县) 终于发现了绳文时代前期(大约六千年以前)的PO。但是,这样古的PO 的出土地点目前集中于本州的中国地区。其他地区的PO 最古也是绳文后期的。高桥教授推测说:“中国地方的饮食文化有可能和以杂粮为主食的其他地区不一样。” 。看来,围绕水稻栽培的起源问题, 做出结论还需要一定的时间。(翻译者:冈村明美,松村奈穗子)
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