日中翻訳コンテスト  2004年12月

             



2004年12月
2004年12月中訳の優秀答案当選者5名:★(首選者)趙青(北九州市)松村奈穂子(奈良市)橋本明高知県田村幸子高松市柴田なみ(新潟

彼岸の境地 打つ手なし:“他者を救済する者のみが悟りの境地に往ける”と、経典『般若心経』が説いているように、それ以外の者には悟れる手段はありません。「じゃ、悟れなくたっていい」と、簡単に諦める方も多いでしょうが、どうやら悟りとは現世で味わうどんな快楽よりも数段上の“チョー気持ちE”ことらしいのです。何せ心の迷いが一切無いわけですから、不安が生じることもありません。いつかは終わる愛じゃなく、永遠に続く愛がそこにはあるのです。羨ましいですが凡人は、流転する万物に虚しさや淋しさを感じながら生きてゆくしかありません。しかし、そんな人間にも仏教的ではないですが、悟ったように見える方法が一つだけあります。他者の評価を気にしないという修行です。「その服装にその髪型は合わんだろう」とか、「それじゃモテないだろう」とか、まわりの心配を一身に受けても、“私はこれでいい!好きなように生きていく!!”と、強く思うことです。世間ではその状況を“イッちゃってる”と、呼びますね。イッちゃうとは、すなわち彼岸に往くこと。世俗と距離を取り、孤高の人に成ることですね。職場の上司はすでにその修行に入られているわけで、他者の声に耳を傾けることはないでしょう。合掌



参考訳文:彼岸的境界 无济可施:正如佛家经典《般若心经》中所讲“只有救济他人的人才能去到领悟的境界”,除此以外的人则无法悟道。这样一来,也许很多人便会说“那不领悟也罢了”从而简单地放弃努力,但是要知道领悟似乎会给人带来一种“超凡的快感”,而这是俗世中所能品味到的任何快乐都无法比拟的。既然人心不再迷乱,也就无需不安了。在彼岸爱会永存,爱不会终止。这样的境界是多么让人神往啊,然而凡夫俗子们却注定只能在现实生活的朝朝暮暮中体味着万物轮回流转的虚无和空寂。不过,这样的凡人倒也自有一种看似悟道的方法,那就是进行不在乎他人评价的修行。也就是说即便身受周遭的非议如“这样的发型不适合这件衣服”“这样做可不招人喜欢哦”,也依然抱定信念,坚持“我认为这样可以!我要按自己的意志生活!”。俗世会将这种现象称为“我行我素”。但其实所谓“我行我素”也就是去往彼岸的一种表现,即和俗世保持距离,品性孤高。单位的上司恐怕也是因为已经进入了那样的修行状态,才不会去理睬周围人的意见了吧。合掌。(翻译者:赵青)