日中翻訳コンテスト  2004年10月

                

2004年10月
2004年10月中訳の優秀答案当選者5名:★(首選者)松村奈穂子(奈良市)木原拓也札幌市)向井千恵沖縄県安田幸一岐阜市下瀬由佳滋賀県


「生きている」の不思議: 科学は死を扱うことはできないと私が断言したけれども、それなら生命を扱うことならできるのだろうか、科学が扱う対象は、存在する物質である。では、生命とは、物質なのだろうか。ウイルスという存在者は、細胞を持っていない。その意味で、情報だけでできている。それではウイルスは生物なのだろうか、無生物なのだろうか。物質ではない生命情報それ自体を生命と呼ぶべきなのだろうか。これは、考えるほどに、深くて面白い問題である。生とは、死に対するところのものである。死があるから生なのである。生があるから死もある。ところが、物質ではない死は、無として存在しないものなのであった。死が存在しないとすると、当然、生もまた存在しないはずである。しかし、現に我々は「生きている」。これは、どういうことなのか。つまり、「生」または「死」とは、それ自体が言葉だということだ。我々は、言葉で、現象を定義しているにすぎないということだ。動いている物のことを、とりあえず「生きている」と呼び、動いていない物のことを、とりあえず「死んでいる」と呼んでいる、事実はそういうことなのだ。これはちょっと驚くべきことなのだれれども。「生物」「生命」「生きている」という概念は、我々がそう思っているのほど自明なものでは全然ないのである。私は不思議で仕方がない。科学とは違う仕方で、それを考えている。(池田昌子)



参考翻译:

 “活着”这个概念之不可思议∶我曾经断言过科学无法研究“死”,那么就可以研究"生命"了吗?科学的研究对象是现实中存在的物质。那么"生命"是物质吗?计算机病毒这个存在物没有细胞,从这一点来看,只是由信息构成。那么,计算机病毒到底是生物还是非生物?作为非物质的生命信息能否把自身叫做生命呢?这是一个越想越深奥,越想越有趣的问题。“生”是相对于“死”而言的,有“死”才会有“生”,有“生”才会有“死”。不过,非物质的“死”相当于“无”,是非存在的。如果认为“死”并不存在,当然“生”也就不会存在了。但是,我们的确“活着”。这究竟是怎么一回事?总之,“生”或者是“死”,本身是一种语言概念,只不过是我们在用语言给一些现象下定义。姑且把运动着的东西叫做“活着”,把不动的东西叫做“死了”,实际上不过如此。这个事实确实令人感到惊讶∶“生物”、“生命”、“活着”这些概念完全不象我们想像的那样简单明了。我直感到不可思议,在用一种迥异于科学的方式思考着这个问题。(翻译者:松村奈穗子)