日中翻訳コンテスト  2004年7月

             


2004年7月
2004年7月中訳の優秀答案当選者6名:倪卉(京都市)松村奈穂子(奈良市)上野徹也(佐賀県)橋本明(高知市)中須賀俊治(愛媛県)野尻卓(福井

紀元前210年即ち2200余年も前の遥かな古代に、秦の方士徐福が「童男童女三千人」及び「五穀と百工」を乗せた厖大な船隊を率いて大海を横断して、はるばると異国へと航行した。徐福が東渡してわずか百年ほど後、いまから二千百余年も以前、漢の太史の司馬遷は、この歴史的な事件を『史記』に書き入れた。『史記』は漢の太初元年(紀元前104年)に編纂が開始された、完成したのは徴和二年(紀元前91年)である。その後も徐福の東渡のことは『漢書』『後漢書』『三国志』などの史書にも見られる。これらの書物はいずれも最も権威ある経典であり正史である。後世の論争点である「徐福」は日本に行き止まったのか」「徐福こそが神武天皇なのか」などの問題じゃともかく、徐福には、「三千の童男童女を率いて東の方に出て海を渡った」という史実があるだけだ。二千二百年も前の一人の古人が、これほど海外に注目し開拓する意識をもっていたのである。これほど大きな気概と巨大な度胸をもち、滔々たる大波を凌いで恐れず、これほど朝野を驚かせた壮挙をやり遂げた徐福こそは、中国の歴史上の一代の偉人と呼ぶにふさわしいであろう。


訳文: 公元前210年也就是距今2200多年前的遥远的古代、秦朝的方士徐福率领着载有三千名童男童女五谷与百工的庞大的船队横跨大洋、向着遥远遥远的异国驶去。徐福东渡的仅仅百年之后、也就是距今2000年以前、汉代的司马迁将这一历史事件载入了《史记》。《史记》是在汉的太初元年(公元前104)开始编纂的、完成于徽和二年(公元前91)。在此之后、有关徐福东渡的事件也能在《汉书》、《后汉书》、《三国志》等史书中被找到。这些书都是最权威的经典正史之著作。后世的争点并不在于徐福是否是行至日本而停止还是徐福自身是否就是神武天皇等等、而在于徐福确实率领三千童男童女向着东方渡海而去这一史实本身。2200多年前的一位古人、竟然具有如此注目于海外开拓的意识。正因为徐福巨大的气概与博大的胸怀、不惧高浪滔天滚滚而来的危险、而实现了如此惊诧朝野的壮举、不愧被称作是中国历史上的一代伟人。 翻訳者:倪卉(京都市)



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