日中翻訳コンテスト  2004年2月

             


2004年2月
2004年2月中訳の優秀答案当選者5名:松村奈穂子(奈良市)内田直美(佐賀県大平澄子(福島県) 田村弘一(神戸市


参考訳文:“你不用勉勉强强上大学。你尽管按你喜欢的方式悠闲自在地生活下去不就行了吗?你已经吃尽了苦头了。” 还在我18岁的一个夏天的夜里,父亲对我这样说道。我在9岁时失了明,再加上那一年的年初,我的耳朵也失了聪。总之,我也成了和海仑格莱一样的又聋又瞎的人。我听不见爸爸的话声。爸爸的话,妈妈用「点字」的方法传给我。「点字」法是妈妈偶然发现的。那是靠点子与点子的组合而传达语言的一种方法。当时我在一所盲校里念高三。暑假里回到父母身边,就我毕业后做什么的问题和父亲议论时,“我讨厌这样生活下去,我也需要有意义的生活,我不是猪呀!”我用强硬的口气回嘴。过了一会儿,妈妈的「点字」停了下来,父亲一定在沉默吧,沉默着,沉默着,……,我在沉默中闻到一股蚊香的香味儿,,有什么冷冷的东西触到了我的手上。我""爸爸说道:“我懂了,你既然这么说的话,就按你说的办好啦,我做你的后盾。喝吧,先喝杯啤酒再说吧”。原来刚才触到手上的是啤酒瓶呢。那天晚上我们喝了很多酒。喝到两天后还宿酒未醒的地步。这反倒给了我一个很好的教训。亏了这个教训,进了大学后,在同学们的宴会上我从没有那样喝醉过。从那以后22年了,不知不觉到了今天。只是因为我侮辱过猪的报应吧, 最近我开始注意到渐渐鼓出的肚子了。" (翻译者:内田直美 )


原文:「無理して大学なんかいかんでもええ。好きなことをしてのんびり暮らせばええやないか。これまでおまえはもう十分苦労した」。18歳のある夏の夜、父が私に言った。私は9歳で失明したのだが、それに加えてこの年の初めに耳も聞こえなくなった。つまり、ヘレン・ケラーと同じ「盲ろう者」になっていたのである。父の声は聞こえないので、父の言葉は母が「指点字」で伝えてくれていた。指点字というのは母がたまたまみつけたもので、点字の組み合わせで言葉を伝える方法だ。当時私は盲学校の高等部3年。夏休みで実家に帰省して、進路問題で父と議論になったのだった。「そんなのは嫌や。ぼくにも生きがいがほしいんや。ぼくは豚と違うんや」。私は強い口調で言い返した。しばらく間があった。母の指点字は止まっている。父は黙っているのだろう。沈黙・・・。蚊取り線香の匂いが流れる。と、なにか冷たいものが手に触れた。そして、父は言った。「分かった。そこまで言うんならおまえの思うとおりにとことんやれ。応援したる。まあ、ビールでも飲め」さっきのはビールびんだったのだ。その夜はかなり飲んだ。翌朝二日酔いになるくらいに。良い教訓になった。おかげで大学入学後、コンパなどでこまることはなかった。あれから22年。ここまでどうにかやってきた。ただ豚を侮辱した報いだろうか、最近、腹の脂肪が気になる。



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