日中翻訳コンテスト  2003年11月

             


2003年11月

2003年11月中訳の優秀答案当選者4名:衛彬(東京都)松村奈穂子(奈良市)  凌炎(京都市)佐竹江美(佐賀県)野田伸男(和歌山県)  坂村信夫(鹿児島市)

捨てる考えは捨てよう:“もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないこと”。これは大乗仏教の根本真理とされる『空』の教義です。目に見えてあるように思うものも、実はない。あるんだけどない、ないんだけどある、分かったようで分からない流石“ゼロ”の発見をしたインドだけあって、とても深い考えです。これさえハッキリ分かればあなたの悩みもスッキリするはずですが・・・私も一切、自分のものがすてられないボンノウの徒です。他人にとっては無意味でも、思い出が絡み合った自分のものは我が子のようにかわいいものです。それを心無い他人に捨てられてしまう恐怖を思うと夜も寝られません。そこで考えたのはエンターテインメントということでした。ただただ残すのではなく、スクラップ帳やアルバムに貼り、構成を加えてさもアート作品のように見せることです。タイトルも『あぁ、涙の明細書』などと付け、他人からも興味が湧くように仕立てましょう。歴史に残していくのに必要なものは先ず娯楽性であると思います。「ポーン」と捨てられるお呪いがあるとすれば、やはり“空”を悟るしかありません。街中でよく見かける駐車場の看板『空あり』の意味を深く考えてみて下さい。私は残す方が人間的には楽だと思いますが。



参考译文1: ”该丢的就丢了吧。各种各样的事物都有其存在的原因,永恒不变的固定事物是不存在的”。这是就是大乘佛教的基本真理空』的学说。眼睛似乎已经看见的东西,其实没有。似有似无,似无却有,似懂非懂,真不愧是佛教的发源地印度,这样的想法确实相当精深。如果你能清楚地懂得这一点的话,你的烦恼就应该烟消云散了吧・・・我也是一个凡是自己的东西什么都不能丢弃的烦恼弟子。尽管对他人来说毫无意义,但却能勾起我的回忆的东西,就象喜欢自己孩子似的去喜欢。一想到那些东西会被无心的人扔掉,就害怕得夜不能成眠。我想出了一个”娱乐性”的好办法, 这样想,其是一件愉快的事情这个办法就是绝不只是单纯地留下,而是把留下的东西精心地装贴在废本子和相册上,看上去就非常象艺术作品了。再取个标题,比如叫什么: “啊! 泪的清单”,尽量激发起他人的兴趣。我想,要是想永留历史的话,首先得有娱乐性吧。要是遭到 “砰”地一声去扔掉的诅咒,最好是去领悟“空”的含义。街上经常能看见停车场的招牌上“空着”二字,请试着去仔细体会它的深刻涵义吧。我觉得有人情味地保存过去,真是很开心的一件事。(翻译者:卫彬)
 
 
 
参考译文2: ”还是抛弃“扔掉”这个念头吧。”万物由缘而生,没有永恒不变的固定的实体”。这是大乘佛教的基本理念,即“空”的概念。看起来有实际上却没有,或者既有又没有,既没有又有,既理解又不理解, 印度人发现了那种“沉浮不定的流石”一般的”零”的概念, 真是深奥无比。可以说,只要把这一点弄清楚,就应该解决你的问题了,但实际上・・・我自己就是一个不能扔掉自己东西的烦恼之辈,对别人来说没有意义的什么东西对我来说却充满了回忆,就好像自己的孩子似的爱不释手。我一想到这些东西有可能会被别人无意中扔掉,就担心得睡不着觉。于是,我想出了一个”趣味化”的好主意,即不仅仅是为了留下,而是要把这些东西贴在剪贴簿或影集上,并加以设计,变成一个艺术品,再加上诸如“呜呼,泪汪汪的帐单”什么的题目,旁人看了,一下子就发生兴趣,我想,要把历史留下来,最重要的就是要使之具有兴趣性。 如果有“ 啪”的一声扔掉的冲动,宁可先悟出“空”这个道理来吧。在大街上,常看到停车场上有这样的文字:”有空位”,可是我想还不如改成”有车位”为好,这样更轻松地符合人类的思考方式吧。”(翻译者:松村奈穗子, 凌焱)
 





この看板はどういう意味でしょうか?「拾う禁止?」「捨てる禁止?」
多分「捨」と「拾」の間違いでしょうか?





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