日中翻訳コンテスト  2002年9月

             


2002年9月

2002年9月の中訳の優秀答案当選者7名:桂麗(岐阜県),大家進一(福岡県)、清原亜矢(DOHA QATAR カタル国在住)、三国正義(仙台市)、西田真理子(堺市)、奥田隆吉(札幌市)、高田淑子(山形県)

今月の発表は、桂麗氏と大家進一氏の訳文を同時に掲載させていただきます。両方の訳文は優秀、且つ風格が異なります。是非ごらんください。

原文:「天平の昔、二人の日本留学僧は揚州をたずね、鑑真のもとに来て、伏してお願いしました、「仏法は東流して、日本国に至りましたが、法はあっても真髄を伝える人がいません。どうか日本に渡り、教え導いてください」すると鑑真は言った、「昔、日本には、仏法の興隆につくした王子(聖徳太子)がおられたことを聞いています。日本こそ仏法の栄える国です。われらの中から誰か日本国に行って、法を伝える者はいないのか」弟子たちは黙したままです。鑑真は、仏法のためだ。どうして身命を惜しむのか。誰も行くものがなければ、私が行こう」と言った。こうして鑑真が日本への渡航を決意したのが、五十五歳の時でした。そして妨害、難破、漂流といった五度の挫折の末、盲目の身となりながら、ついに日本の土を踏むことができました。それは願を発してから、十一年がたった六十六歳の時(753年)のことです。」


译文(SimSun)1:「天平文化的年代,两名日本留学僧人同下扬州,拜访鉴真。他们伏地恳求道,‘佛法东渐,乃至日本,但有法而无人传其真髓,祈请法师渡日传戒。’鉴真便道,‘听说日本早有王子(圣コ太子)推兴佛法,日本正是佛教盛行之国,诸位大家可有何人愿去那里传法?’弟子们皆默然不答。鉴真又道,‘为扬佛法,何惜生命?众人不去,就让我去吧!’就这样,他五十五岁那年,决意东渡日本。其后历经官府扣留,弟子拦阻,两度风浪破船,海上漂流颠沛的五度挫折,以至双目失明,终于踏上了日本的土地。那时他六十六岁(753),从发愿渡日传戒起,已过了十一年。「注:天平文化,指8世纪中叶在唐代鼎盛期文化的影响下,以写实手法体现人类丰富情感的文化。 」

翻訳者:桂麗(岐阜県) (添削符号:青い色は追加、網掛けは不要)


译文(SimSun)2:天平年间,两个日本留学僧人访问扬州,来到鉴真门下,恳求说:佛教虽然流传至日本,但佛法虽到,可传播其精华之人却没有,所以请您东渡日本,传授佛教之精华。鉴真听后即道:我听说很久以前,日本曾经有个王子(圣コ太子)致力于佛教的兴隆。日本正是佛教昌盛的国家。在我们之中,有没有人愿意去日本传授佛法呢?弟子们一言不发。于是鉴真便说:一切都是为了佛法,为什么要吝惜生命,如果谁都不愿意去,那么我去。就这样,鉴真下定决心东渡日本,可当时他已55岁了。结果他经历了海上受阻、船只破损、海面漂流等5次挫折的结果,虽然双目失明,但最终还是踏上了日本的土地。那已经已是自他发誓时起11年过后的66岁(753年)时的事了。

翻訳者:大家進一(福岡市) (添削符号:青い色は追加、網掛けは不要)


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