日中翻訳コンテスト  20162

             

 


2016年2月の優秀答案当選者5名:小西楽平、伊藤佐和子陳美娟、田村美喜、田中潤

 

 スウプのいただきかたにしても、私たちなら、お皿の上にすこしうつむき、そうしてスプウンを横に持ってスウプを掬い、スプウンを横にしたまま口元に運んでいただくのだけれども、お母さまは左手のお指を軽くテーブルの縁にかけて、上体をかがめる事も無く、お顔をしゃんと挙げて、お皿をろくに見もせずスプウンを横にしてさっと掬って、それから、燕のように、とでも形容したいくらいに軽く鮮やかにスプウンをお口と直角になるように持ち運んで、スプウンの尖端から、スウプをお唇のあいだに流し込むのである。そうして、無心そうにあちこち傍見などなさりながら、ひらりひらりと、まるで小さな翼のようにスプウンをあつかい、スウプを一滴もおこぼしになる事も無いし、吸う音もお皿の音も、ちっともお立てにならぬのだ。それは所謂正式礼法にかなったいただき方では無いかも知れないけれども、私の目には、とても可愛らしく、それこそほんものみたいに見える。また、事実、お飲物は、口に流し込むようにしていただいたほうが、不思議なくらいにおいしいものだ。けれども、私は直治の言うような高等御乞食なのだから、お母さまのようにあんなに軽く無雑作にスプウンをあやつる事が出来ず、仕方なく、あきらめて、お皿の上にうつむき、所謂正式礼法どおりの陰気ないただき方をしているのである。 スウプに限らず、お母さまの食事のいただき方は、頗る礼法にはずれている。お肉が出ると、ナイフとフオクで、さっさと全部小さく切りわけてしまって、それからナイフを捨て、フオクを右手に持ちかえ、その一きれ一きれをフオクに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。また、骨つきのチキンなど、私たちがお皿を鳴らさずに骨から肉を切りはなすのに苦心している時、お母さまは、平気でひょいと指先で骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉をはなして澄ましていらっしゃる。

 

「太宰治 「斜陽」の2 


「太宰治「斜陽」之二」: 到湯匙的用法,我們平時都是朝着湯匙稍稍低頭,再將湯匙横著舀湯送到口中。然而母親郤是把左手手指輕輕掛在桌子邊,挺直腰板,昂首抬頭,也不看盤子,然後她把湯匙横著迅速地舀起湯,像燕子點水一般,簡直無法形容地,輕輕地,巧妙地把湯匙和嘴唇垂直地送到口邊,然後從湯匙的尖端把湯流進雙唇之間。之後母親又會無意識地左顧右盼,輕盈地,就像揮動小小的翅膀一樣使用湯匙。不曾在餐桌上留下一滴湯漬,吮湯的浠浠聲和湯匙的磕碰聲一絲也聽不到。我想儘管母親的作法可能偏離了正統的餐桌禮儀,但在我的眼中,她的喝湯作法十分可愛,讓我覺得這才是真正的喝湯作法。另外,事實上,所謂飲料當然應當是從嘴裡流進去,這才有一種不可思議的絕妙的美味。不過,我就是直治所說的那種上流乞丐,而無法像母親那樣輕巧自然地使用湯匙。真沒法子,我早已灰心,而總是扒在盤子上,努力按照所謂正規那樣陰陽怪氣地使用湯匙。不僅僅是喝湯,母親其他用餐的方法也都偏離所謂正規禮節。比如吃肉食的時候,母親使用刀叉,嚓嚓嚓把肉全部切成小塊兒, 然後把刀擱置一旁,右手持叉,一塊兒一塊兒地用叉子叉著肉,不慌不忙地愉快地享用。另外,比如吃帶骨雞肉的時候,我們都是十分小心地注意著不要把盤子碰出聲音一邊把肉從骨頭上剔下來。而母親卻是心平靜氣地用指頭把骨頭抓起來送進嘴裡,在口中把雞肉從骨頭上乾淨地撕下來。( 斜陽 未完 )   (翻译者 小西楽平,凌焱)