日中翻訳コンテスト  20161


                

 


 201年1月の優秀答案当選者5名: 凌焱、伊藤佐和子柳生信吾、西田昌子、陳秀閑

 

 

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」 と幽かな叫び声をお挙げになった。「髪の毛?」 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。「いいえ」。お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。弟の直治《なおじ》がいつか、お酒を飲みながら、姉の私に向ってこう言った事がある。「爵位があるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。爵位が無くても、天爵というものを持っている立派な貴族のひともあるし、おれたちのように爵位だけは持っていても、貴族どころか、賤民《せんみん》にちかいのもいる。岩島なんてのは(と直治の学友の伯爵のお名前を挙げて)あんなのは、まったく、新宿の遊廓の客引き番頭よりも、もっとげびてる感じじゃねえか。こないだも、柳井《やない》(と、やはり弟の学友で、子爵の御次男のかたのお名前を挙げて)の兄貴の結婚式に、あんちきしょう、タキシイドなんか着て、なんだってまた、タキシイドなんかを着て来る必要があるんだ、それはまあいいとして、テーブルスピーチの時に、あの野郎、ゴザイマスルという不可思議な言葉をつかったのには、げっとなった。気取るという事は、上品という事と、ぜんぜん無関係なあさましい虚勢だ。高等|御下宿と書いてある看板が本郷あたりによくあったものだけれども、じっさい華族なんてものの大部分は、高等|御乞食《おんこじき》とでもいったようなものなんだ。しんの貴族は、あんな岩島みたいな下手な気取りかたなんか、しやしないよ。おれたちの一族でも、ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。あれは、ほんものだよ。かなわねえところがある」

 

「太宰治 「斜陽」の1」


 [太宰治 斜阳之一]: 一大早,在饭厅里一勺一勺敏捷地吮着汤的母亲突然轻轻地“啊”的一声叫了起来。“头发?”汤里怎么了,可不是谁放进了讨厌的东西吧。我这样想着。“不”。母亲做着什么事儿也没有的样子,继续轻巧地一勺接着一勺把汤舀进嘴里。一口喝下后,母亲把脸转向饭厅后门的窗户。望着窗户外盛开的山樱。她没有转回脸,继续一勺接着一勺地把汤喝进她小小的嘴里。「轻巧」这样的形容词对母亲来说绝不是夸张。妇女杂志上介绍的餐桌上的「作法」完全不是那么回事儿。弟弟直治在以前,一边喝酒,一边朝着姐姐的我这样说过。“有爵位可说不上就是贵族。哪怕没有爵位,只有上天赐的天爵的堂堂的贵族也有,就像我们这样只是有爵位的贫贱的贵族也有。就像岩岛(直治举他学友中一位伯爵的名),我觉得他简直比新宿的窑子里勾引嫖客的伙计更下贱。上次,柳井(也是弟弟的学友中一位子爵的次子的名)的哥哥的结婚典礼上,那个家伙,居然穿着燕尾服,他在干吗呀,他以为非得穿燕尾服不行呢。这还不算,分桌致礼的时候,那个畜生居然使用那样文绉绉的不可思议的敬语,让我恶心得想吐。对他来说,出风头和高雅不搭岔,只是装模作样而已。在本乡一带,「高级寄宿舍」招牌林立,实际上 皇族的大部份不过是高级乞丐罢了。真正的贵族可不像那个岩岛那样装腔做势,我可不这么干。我的家族,真正的贵族,不管怎么说,像妈妈那样吧。那才是真正的贵族,我ー不上她。”(翻译:凌焱)