2010年10月の優秀答案当選者5名: ★張君艶(中国広州市)、田中美也子(香川県高松市)、鈴木美津子(岩手県盛岡市)、原田光男(東京都杉並区)、小川信行(埼玉県埼玉市)
「先生と私」の37: 私は暗示を受けた人のように、床の上に肱をついて起き上がりながら、きっとKの部屋を覗きました。ランプが暗くともっているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛け蒲団は跳ね返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向こうむきに突っ伏しているのです。
私はおいと言って声をかけました。しかしなんの答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの体はちっとも動きません。私はすぐ起き上がって、敷居際まで行きました。そこから彼の部屋の様子を、暗いランプの光で見回してみました。その時、私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の部屋の中を一目見るやいなや、あたかもガラスで作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立ちに立ちすくみました。それが疾風のごとく私を通過した後で、私はまたああしまったと思いました。もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。そうして私はがたがたふるえ出したのです。それでも私はついに私を忘れることができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼をつけました。(夏目漱石 続く)
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