楽山大仏
楽山大仏(らくさんだいぶつ)は、中国四川省楽山市にある、弥勒菩薩を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏であり、石窟寺院の一種である。楽山大仏は、1996年近隣にある峨眉山とともにUNICEFの世界自然と文化に登録されている。大仏の大きさは全高(縦全長)約71m、像高(像本体の高さ)約59.98m。
近代以前に造られたものでは世界最大・最長の仏像であり、石像である。
また、像高で第2位にあったバーミヤン(2体のうちの大きい方)が破壊された現在では、これに迫る古仏は存在しない。
- 施設全高 約71m。
- 像高(像本体の長さ) 59.98m。 像幅(像本体の幅)
28.5m。
- 頭高(頭部の長さ) 14.7m、鼻の長さ 5.6m、口の長さ
3.3m、耳の長さ 7.0m(耳の穴には2人入れるという)、首の長さ 3.0m。
- 肩幅 28.0m、中指の長さ 8.3m、脚の長さ
10.5m、足の甲の長さ 8.5m。
楽山大仏は峨眉山地域内の長江の支流、岷江、大渡河、青衣江が合流する地点にある。
近代以前に造られたものでは世界最大・最長の佛像であり、石像である[1]。顔は100畳分、岩山を掘り、90年かけて造られた。高さは71メートル。東大寺の大仏の5倍にも及ぶ。当時、多くの大仏が国家によって造られたのに対して、楽山大仏は民衆の力で作られた。
楽山大仏は、後続の韋皋(い こう)が編ませた『嘉州凌雲寺大像記』の伝えるところによれば、開元元年(713年)、楽山周辺では塩が大量に取れ、年間の生産高は現在の価格に換算すると1千億円以上でその成功を仏様に感謝したいという気運が高まったことと、当時頻繁に起こっていた塩を運ぶ大動脈であるる岷江の水害を大仏の力で治めてもらおうという願いから、僧の海通が民衆の布施の下に寺院・凌雲寺に隣接する崖に石像を彫り始めた。
天寶2年(743年)、海通は大佛が完成する前に亡くなったが、剣南西川節度使であった韋皋が建設を受け継ぎ貞元19年(803年)に完成した。
川の合流地点に工事で出た大量の土砂を投入することにより、川底が浅くなり、海通の意図通りに水害は大幅に減ることとなった。
完成当時、大仏は「大仏像閣」と称する13層の木造の建造物に覆われ、法衣には金箔、胴に朱色が塗られていた。
さらに湧水を外に逃がすための排水溝、そして雨水を効率よく逃す溝が掘られていた。
しかし、明代末期に建物は焼失、大仏も風雨に晒されて色が落ち、雑草に覆われていった。
修復は1962年になってようやく行われた。 その際、像の胸の部分から明代に開けられたと見られる穴が発見され、経典などを入れるためのものであったとの推測がなされている。
最近では酸性雨によると思われる染みが見られる。
2018年10月8日、大仏の胴体の破損を修復する工事が行われ、2019年3月末に完成した。その後、修復した後の写真として、顔の部分を画像処理ソフトで加工したものがインターネットを介して出回ったため、修復に批判的な意見が見られるようになった。
2020年7月から8月にかけて長雨が続き、大仏に面する川が増水。2020年8月19日までに大仏の足元まで水が達する状況になった。
中国語説明文:
乐山大佛又名凌云大佛,位于四川省乐山市南岷江东岸凌云寺侧,濒大渡河、青衣江和岷江三江汇流处。大佛为弥勒佛坐像,通高71米,是中国最大的一尊摩崖石刻造像。1996年12月被联合国教科文组织UNICF列入世界文化与自然遗产。
乐山大佛开凿于唐代开元元年(713年),完成于贞元十九年(803年),历时约九十年。乐山大佛和凌云山、乌尤山、巨形卧佛等景点组成的乐山大佛景区属于国家5A级旅游景区。2018年10月8日,乐山大佛景区九曲栈道处已经开始施工前打围封闭。
古代的乐山三江汇流之处,岷江、青衣江、大渡河三江汇聚凌云山麓,水势相当的凶猛,舟辑至此往往被颠覆。每当夏汛,江水直捣山壁,常常造成船毁人亡的悲剧。海通禅师为减杀水势,普渡众生而发起,招集人力、物力、修凿的匠人。佛像于唐玄宗开元初年(公元713年)开始动工,当大佛修到肩部的时候,海通和尚就去世了。海通死后,工程一度中断。多年后,剑南西川节度使章仇兼琼捐赠俸金,海通的徒弟领着工匠继续修造大佛,由于工程浩大,朝廷下令赐麻盐税款,使工程进展迅速。当乐山大佛修到膝盖的时候,续建者章仇兼琼,迁家,任户部尚书,工程再次停工。四十年后,剑南西川节度使韦皋捐赠俸金继续修建乐山大佛。在经三代工匠的努力之下,至唐コ宗贞元十九年(公元803年),前后历经90年时间才完工。
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