『山月記』簡介:這是日本明治時代的年輕作家中島敦根據唐代的一個怪異事件改寫的短篇小說。隴西人李徵年輕有為科舉考上進士。但是他為人清高.不願在官僚前卑躬屈膝而以詩人得名。他選擇了退官做詩人的道路。然而退官後陷入困窮。因而再度屈就官職。李徵在自尊心受到嚴重挫折下去河南出差,一天晚上,精神錯亂的李徵去向不明。一年後,昔時舊友袁傪在路過李徵失蹤地時偶然發現搔擾當地人的食人虎竟是李徵,在舊友前傾吐了內心後的李徵再次消失在草叢中。中國文化沙龍從2022年1月到12月分12次連載。
『中島敦 山月記―10』: 虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔を感じる。己には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。(485)
『中島敦 山月記―10』:(對我來說這高傲的羞恥心就是我心中的野獸),就是老虎啊。而就是它,不但要侵蝕我,折磨我的妻子,傷害我的朋友,最後還把我的内心原原本本的在外貌上反映出來。現在回頭看,我發覺自己把僅存的才華都白費了。嘴上光說:“人生要碌碌無爲,是過於漫長。可是要有番作爲,卻過於短暫。“等等的警句,但其實,一切都只是我膽小懼怕暴露出自己的不才,懶得刻苦磨練自己而已。有很多出色的詩人,才華雖然遠不及我,但專心致志的磨練最終成就了他們。淪落到一隻老虎的現在,我終於茅塞頓悟了。想到這裏,我心裏悔恨得像被火燒一樣。我已經不能再過一般人的生活了。最美麗的詩詞在頭裏浮現,都沒法子發表了。再説我的心每天都漸漸的接近這老虎。我該如何是好?該如何面對白費掉的往時呢?實在太難受了。這時我會爬上山頂上的大石,面向空谷咆吼,向人訴説這折磨我内心的悲痛。昨夜也是,在那裏向月吼叫。(翻译:小西乐平) |