日中翻訳コンテスト  2018年11

              

 


2018年11月の優秀答案当選者3名:芮真慧 和田あきな 伊藤佐和子  翻訳努力当選者3名: 藤井佳苗 岡本洋子 江川美帆 

 

「夏目漱石 夢十夜 第六夜」: 第六夜 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍(いらか)を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならないように、斜(はす)に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待(つじまち)をして退屈だから立っているに相違ない。「大きなもんだなあ」と云っている。「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊(やまとだけのみこと)よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折(はしょ)って、帽子を被《かぶ》らずにいた。よほど無教育な男と見える。運慶は見物人の評判には委細,頓着なく鑿(のみ)と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺(あたり)をしきりに彫り抜いて行く。運慶は頭に小さい烏帽子(えぼし)のようなものを乗せて、素袍《すおう》だか何だかわからない大きな袖を背中で括(くく)っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。

 

  

(コンテスト2018年 第十一回)

 


 

【夏目漱石 梦十夜 第六夜】听闻运庆大师(注释:日本镰仓时代著名的雕刻家)正在护国寺的山门前雕刻仁王像,于是散步的时候顺路过去看看,不料在我之前已经聚集了许多闻风而至的人,大家你一言我一语的议论纷纷。距山门九、十米处,有一株巨大的赤松,枝干斜逸,遮蔽了山门的屋脊,伸向遥远的青空。青翠的松树和朱红的山门交相辉映煞是好看。而且松树的位置极佳,倾斜生长着的树干不仅没有遮挡山门的左端,越往上树冠宽大枝叶茂盛,突出屋顶,古意盈然。看起来像镰仓时代。但是周围观看的人,却和我一样都是明治时期的人。其中最多的是人力车夫。一定是等客太过无聊,到这里来凑热闹来了。有人说:“好大啊!”又有人说:“这要比雕刻普通人像辛苦很多吧。”在我想的确如此的时候,有个男子说:“是仁王像啊。现在还有人雕仁王?我还以为仁王像都是古时候雕的。”“看起来很强。要说厉害,从古至今最厉害的还是仁王。听说比日本武尊还强。”另一个男子搭话说。这个人把和服的衣襟撩起来掖在腰带上,没戴帽子,看起来没受过什么教育。运庆不为围观者的言语所动,专心致志地挥动着手中的凿子和锤子。他连头也不回一下,站在高处仔细地雕刻着仁王的脸部。运庆头上戴着一顶不大的乌帽子(注释:平安时代流传下来的和服的K色礼帽),身着不知是否是素袄(注:日本传统男性服饰的一种)的衣服,宽大两袖被系在身后。他的样子看起来很古朴。和周围围观者截然不同,格格不入。 我在想运庆为什么能活到现在?虽然觉得难以置信,但我仍旧站立在一旁观看。运庆却是一付理所当然的样子,不为所动地努力刻着雕像。仰头观看运庆雕刻的一个男青年转头对我说:“不愧是运庆大师,眼中没有我们任何人。”(翻译者:芮真慧(ゼイ・シンケイ

 

 

 

 

《梦十夜 第六夜》(夏目漱石):第六夜。听运庆正在护国寺山门雕刻仁王像的消息,我一边散步一边顺便去看看。人群朝山门蜂拥而来,在我走到之前已经挤得满满,大家七嘴八舌,风言风语,议论纷纷。山门前五六间屋子距离的地方有一棵大赤松,树干斜斜地把山门的瓦檐也遮住高耸蓝天。绿松朱门,相互映照,煞是美丽。特别是松树,为了不遮住山门的左端的视线,松树的枝条被斜着剪了枝。树冠越高越宽阔,高出屋顶,不管怎么说甚为古朴。看上去像是镰仓时代。然而,围观者们与我一样,都是明治时代的人。其中人力车夫最多。他们一定是在路边待客百无聊赖吧。他们说:“这么大呀”,还说:“比起雕人像来更费周折啊。”是吗? 我正这么想的时候,一个男性说道:“哟,雕的是仁王呀,这年头儿还雕仁王呢?真没想到,我一直觉得仁王太过时了。”另一个男性搭话说:“怎么看也强壮。不管怎样看都强呀,自古以来没有谁能超过仁王呢。比武尊还强呢。” 此人的衣襟下摆抄在腰间,不戴帽子,看上去没有什么知识。运庆任凭人们评头论足,满不在乎地挥动着凿子和锤子,聚精会神。站在高架上雕刻着仁王的脸。运庆头上戴着小乌帽子般的东西,长袍的硕大的袖子捆在背上。他的样子并不古老,他的模样和周围吵吵嚷嚷的围观者简直是不相称。我想,运庆怎么能活到现在呢?我一边想着竟有这么不可思议的事情,一边仍然站在那里看着。然而运庆却丝毫没有感到不可思议的样子一心一意地雕刻下去。一个仰头望着的小伙子向我转过身来,说道:“真不愧是运庆呀,眼中无人呢。”(者:和田あきな,伊藤佐和子)