中国と日本の絶景

 情報更新は2021年6月6日

 

 

 

     広西省 1万6千年前の左江花山岩画  

Zuojiang Huashan Rock Art Cultural Landscape

 

 

 

行く経路飛行機で広西省南寧市まで、南寧市から寧明県まで179`高速道路ある。寧明県から花山岩画センターまで6キロ、路線バスある。

 

左江花山の岩絵の文化的景観(さこうかざんのいわえのぶんかてきけいかん)は

 中国西南部広西省の南部の寧明県の左江畔の花山の100キロの岩壁に16000年前から700年まで先住民が残して大量な画、画は、赤鉄鉱石の粉と動物脂肪と混ぜて作成した顔料で描く。内容が蛙の姿の人物や牛など簡単な図案。しかし、その数は3000以上。2016年ユネスコの世界文化遺産に登録。

中国南部の広西チワン族自治区に残る、700年以上に渡ってカルスト地形の断崖壁面に描かれた大規模な岩絵群を含む文化的景観である。これらの岩絵群は左江(中国語版)およびその支流である明江(中国語版)の岸壁に見られ、広西弄崗国家級自然保護区(中国語版)に含まれる岩絵もある。また、明江右岸は花山岩画風景区に指定されている。2016年7月15日にUNESCOの世界遺産リストに登録され、登録対象となった3地区38件の岩絵群は、崇左市の寧明県、竜州県、江州区、扶綏県に位置している。

なお、中国語: 岩画は「岩絵」のことである。日本語では「岩画」という熟語はあまり一般的ではないが、日本語文献でもこの遺跡を花山岩画(かざんがんが)として掲載しているものがある。 左江両岸には切り立った崖が見られ、その壁面に赤い顔料で多くの図像が描かれている。顔料は赤鉄鉱に植物の樹液を混ぜたものが使われた。壁画の中には130 m の高さに描かれたものもあるが、切り立った崖に描いた手法としては、足場を組んだ方法が(発見されている杭の残骸を根拠に)指摘されているほか、崖の頂上からぶら下がったり、下からよじ登った可能性なども指摘されている。

崖の壁面に岩絵の描かれた地域の中でも主要な場所は、幅およそ170メートル (560 ft)、高さ約40メートル (130 ft)で、110ほどのグループに分類できる約1900個の像が描かれており、中国の岩絵の中でも大規模な部類に属する。それらの壁画はおおむね川面からの高さで30メートル (98 ft)から90メートル (300 ft)の場所に描かれている。

 

左江花山の岩絵

図像には人物を描いたものが多く、腕を掲げて足を曲げたポーズは、何らかの儀式の様子を表したと考えられている。それらの多くは60 cmから 1.5 m ほどの背丈だが、小さなものだと20 cmほどのものがある一方、最も大きいものだと3.58 m になる。人物以外では刀剣類、船、動物などを描いたものもあるが、後述するように世界遺産登録理由との関わりで重要なのは、中国南部から東南アジアにかけて用いられてきた銅鼓らしき道具が描かれていることである。

壁画が描かれたのは紀元前5世紀から後2世紀と見なされている。始期や終期に若干の異説があるものの、その場合にも、おおむね戦国時代から後漢の時代に描かれた点では共通する。この時期にこの地に住んでいたのは、チワン族の祖先とも言われる雒越であり、岩絵は彼らの生活や儀式を描いたものと見なされている。ただし、放射性炭素年代測定の結果、最古の岩絵が16,000年前、最新の岩絵が690年前という可能性も出てきている。

崇左市チワン族博物館(崇左市壮族博物)には、この岩絵群の歴史などに関する展示物がある。

 

登録ID

構成資産名

面積(ha)

流域

遺跡数

 1508-001

寧明県・龍州県の岩絵

 1,628.83

明江

4

508-002

龍州県の岩絵

2,506.5

左江

16

1508-003

江州区・扶綏県の岩画

 2,486.27 

左江

18

 

中国語の紹介文

 

岩画年代和族属的断定。是研究左江花山岩画首先要解决的问题。考察运用考古学的断代方法,通岩画上具有年代特征的器物如羊角钮钟、扁茎短首刀、鼓等,与南地区出土的器物相印,同提取岩画上残留的木、石行碳十四年代定,最后确定岩画的制年代距今2000多年的国至东汉时期。一断代果,是左江花山岩画研究的重大突破,并且得到了我国岩画界的可,至今一直花山岩画研究者所沿用。作画年代确定后,作画民族问题便迎刃而解,作画者即为战国至东汉时期生活在左江流域的壮族先民——越民族。

 

   左江花山岩画的性、画面内容和像形定。考察考古学、民族学和宗教学的研究方法和实证资料,越人不畏艰险、攀登模宏大的岩画,不是艺术,而是有着烈的祈求功利目的,即岩画是越人行盛大祭祀活的形象反映,画面上手蹲足的形,是越人在祭祀式上在祭的率下集体跳蛙舞以神、祈求风调、生丰收的舞蹈(越及其后裔壮族是稻作农业民族,流行青蛙崇拜)。一研究成果,也是花山岩画研究的重要突破,同得到我国岩画界的同,并界采与沿用至今。

 

花山岩画料的断定。于左江花山岩画是使用什么颜制的,经过两千多年雨冲刷和阳光暴晒,久不褪?是世人注的又一个问题。在次考察中,考察化工岩画行采集和化,确定了岩画料是赤铁矿粉。越人将赤铁矿碾磨成粉,加入物胶行稀画。而赤铁矿的性状具有很定性,加上灰黄色的石灰岩石壁具有很的吸水性和吸附料的特性,确保了赫色岩画久不褪色。

 

 

 

 

左江花山 Photo by: www.sohu.com

 

 

 

 

           「蛙人信仰?」 Photo  by:  www.m.sohu.com

 

 

 

「蛙人」「犬」「車輪」「?」Photo  by:  www.m.sohu.com

 

 

 

 

寧明花山岩画 Photo by: www.xf.dhe.cn

 

 

 

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