天壇: 北京市東城区に位置する史跡で、明朝から清朝にかけて、皇帝が天に対して祭天(祭祀)を行った宗教的な祭壇である。敷地面積は約273ha。1998年よりユネスコの世界文化遺産に登録された。
明の永楽18年(1420年)、永楽帝が建立したとされる。建設当時は天地壇と呼ばれていたが、嘉靖13年(1534年)、天壇と地壇に分離、天壇と呼ばれるようになった。天壇は1420年、明の永楽帝が故宮の東南に造営したもので、故宮の4倍もの敷地に、主要な建築物が南北一直線上に並んでいます。南端にある圜丘壇は三層の円形石壇で、古来中国で最も重要とされる数字9の倍数の石の欄干や石板で構成されています。皇帝は毎年冬至に、石壇中央の丸い石板の上に立ち祈りを捧げました。ここは天に通じる大地の中心だったようです。北端に建つのが冒頭に紹介した祈年殿で、春節(旧正月)に皇帝が五穀豊穣を祈ったところ。祈年殿と圜丘壇とは丹陛橋と呼ばれる通路で結ばれ、途中に建つ歴代皇帝の位牌が安置された皇穹宇は、天に属するとされていました。また丹陛橋の西にあり、祭祀の際に皇帝が泊まり身を清めたという斎宮など、天壇には明朝以来の多くの建物が残されています。重要な国家儀式の空間として、一般の立ち入りが禁じられていた天壇も、現在は公園として公開されています。かつて皇帝のみが立つことを許された圜丘壇の中心に立つと、不思議なエネルギーが感じられ、音を立てたり声を発すると周囲からこだまが返ってきます。今もここは、天に通じるパワースポットなのかもしれません。
天壇は、圜丘壇、皇穹宇と祈年殿の三部分で構成する.
圜丘壇 (yuán qiū
tán) (圜は元の発音はhuan北京地元の発音はyuan(
皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所である。毎年冬至に豊作を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行った。
形は天円地方の宇宙観に則り円形である。また欄干や階段などが陰陽思想でいう最大の陽数である9や、その倍数で構成されている。各壇の直径を合計すると45丈であり、これは単に9の倍数という意味だけでなく、九五の尊という意味も持つ。
(九五の尊は易学忠九は陽数中最高位、五は正中、九五は帝王を象徴する) 天壇では圜丘殿こそが最も重要な場所である。
皇穹宇 (huáng qióng yǔ)
皇室の皇に、大空を表す穹と、宇宙の宇という字を書く。圜丘で祭事が行なわれる時、壇の上に置かれる天の神や、歴代の皇帝の位牌をふだん安置しておく所である。
祈年殿 (qí nián diàn)
天壇でもっとも有名とされる建造物の一つで、天安門や紫禁城とともに北京のシンボル的存在とされる。祈年殿では皇帝が正月の上辛五穀豊穣を祈りを捧げた。祈年殿は直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる祭壇で現存する中国最大の祭壇。中国建築史上重要な建造物とされる。木造で宝頂は金メッキがなされている。屋根は瑠璃瓦葺きの三層になっており、明の時代には上から青・黄・緑となっていたが1751年にすべて青色に変えられた。1889年落雷により焼失したが1896年に再建されている。青瑠璃瓦で葺かれた三層の丸屋根が蒼穹に映える祈年殿。故宮(紫禁城)と並ぶ北京のシンボルとされる、この独特の建築が建つ天壇は、明清代の皇帝が天に祈祷を行った巨大な祭祀施設。地を治める皇帝が、天を治める天帝から天命を授かる神聖な場所でした。
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