中国と日本の絶景

情報更新は2021年5月2日

 

 

 

                   兵馬俑  

Mausoleum of the Terracotta Warriors

 

 

 

行く経路飛行機で西安市まで、直便なければ北京或いは上海経由も西安市まで。

 

始皇帝陵兵馬俑博物館: 

始皇帝陵兵馬俑坑は、驪山北麓始皇帝陵の東1.5キロ。1974年、地元の驪山鎮楊村住民により兵馬俑が発見され、1975年の新華社の報道で世界的な大ニュースとなった。 現在発掘した兵馬俑の規模は2ha程である。3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体近くあり、みな戦闘態勢で東を向いている。

この兵馬俑の発見は特に、中国史の研究上、当時の衣服や武器、馬具等の様相や構成、また、始皇帝の思想などを知る上できわめて貴重なものである。兵馬俑坑は、現在発掘調査がなされ公開されている箇所だけでなく、その周囲にも広大な未発掘箇所をともなうが、発掘と同時に兵馬俑の表面に塗られた色彩が消える可能性があることなどの理由から、継続調査がなされていない。なお、兵馬俑を建設したのは二代皇帝胡亥説もある。

 

1975年兵馬俑博物館建設はじめ、1989年展示開始。博物館は、総面積19万平方メートル。「1号館」は発掘現場の兵馬俑坑1.4万平方メートル、「3号館」は発掘現場の兵馬俑坑1200平方メートル、「銅馬車館」は600平方メートル、他には、「補助展示館」600平方メートル。

 

 

        兵馬俑博物館外形  photo by :    www.meipian.cn (zhangyi)

 

 

 

          

始皇帝兵馬俑博物館ガイド図:graph by:  www.m.cndxsd.com

 

 

 

            

兵馬俑博物館内「第1号坑」で展示している発掘現場

photo by:   www.dujia.lvmama.com

 

 

                                  

兵馬俑博物館内「銅馬車館」内の銅馬車  photo by:  www.baike.baidu.com

  

 

 


 戦国時代の銅馬車は南知多半島発見

 

 

これは南知多半島で見た銅馬車―始皇帝の銅馬車かも!?

 

びっくり!1970年代陜西省西安の兵馬俑遺跡で出土した銅馬車の中の一つを2007年愛知県知多郡で発見!スーパーマジック見たいです!2007年盆休みの間、南知多半島の海辺で一泊の後、半島の東海岸へ北上、途中、電柱の上に無造作な紙で道案内があった「始皇帝銅馬車へ」案内指示の通りで、「布土半月」という場所の田んぼの真ん中の一つに黒い倉庫のような建築物を発見、入り口に「美術の森」の指示があり、やはりここだ!建物の前の駐車場に車は置いて展覧室に入った。

 

薄暗い照明の空間に、2台の青銅馬車と8頭の白い馬たちが目の前に現れました!大きさは大体実物の半分位、先頭の4頭の馬の後ろに青銅傘(なんという薄さ!)があり、立っているギョシャは、縄(材料不明)で馬を綱いで先導しているらしい、後ろの馬車の運転手は座って、背が低い馬車を操作しているらしい。なんと!これは兵馬俑遺跡を発掘の発掘品と言われています!

 

展示しているは愛知県知多郡美浜町である「美術の森」、入り口で入場券(¥1200)を買ってから入場、オーナーはわざわざ解説するために、どこから展示室に来ました。あいだ口がひさがらない私たちに一一丁寧に解説しましたが、銅馬車の来歴は口を閉じて何も言わなかった。(中国文化サロン 凌炎)

 


 

始皇帝の兵馬俑は日本で「出土」



びっくりのもう一つは、写真の通りです。きちんと整列している武将たちは、中国の西安でなく姫路市西の「太陽公園」です。中国高速の姫路西出口を降りて10分位「太陽公園」がありました。入門券は500円です。玄関は白亜のパリの「凱旋門」!大きさは多分半分ぐらいですが、彫刻はかなり繊細で、まるで本当にパリですよ!モアイ像から53体の世界名彫刻の林を通過、「始皇帝の兵馬俑館」に着きました。大きい建物の中に、2つ兵馬俑坑には数千の兵士と馬たちが目の前に現れました!その建物の傍には、「万里の長城」の「登城門」に着きました!「万里の長城」は山の脈を沿って!まさか2キロぐらい長さ!    (中国文化サロン 凌炎)